2012年04月13日

「ふきだす絵本」てんぱってきました。

普段はお芝居のポスターやパンフレットの仕事が多いんですが、お芝居そのものにも関わっているのがひとつあります。それが「夢知無恥ぷれぜんつ」。制作をやってます。やってるっていばるほどの事はしてないんですが、表の裏方全般です。チケットの事とか、お金の管理とか、宣伝とか。もちろんチラシなんかは自分でやります。イラストはいつもほししんいちさん(あの?じゃないですよ)。へっぽこなオヤジ描かせたら天下一品。最初ラフでオナラしてる女子高生が3人もいたんで2人に減らしましたよ。もぉオナラとか好きなんだから
…え〜そんなことではなく

今度のヤツがこれ
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「ふきだす絵本」…ん〜ふきださずにオナラだけだと「へりだす絵本」か「だす絵本」…オナラから離れます。最近本業の方も忙しくてなかなか稽古を見にいけてないんですが、小耳にはさんだところによると佳境です。なんたって来週19日から本番なんです。あ〜14.15.16.17.18…あと5日しかないよ〜キャスト、スタッフみなさん体調に気をつけて頑張ってください。オレも小道具やらなきゃなぁ。いつも小道具とか、美術のお手伝いもほんのちょこっとしております。
「ふきだす絵本」の中身なんですが、笑いの中に愛があります。大笑いしながら胸がつまります。プッとふきだしながら、近くにいる人の手をつかんでいる。そんなお芝居です。笑いながら愛を感じる人になれるチャンスです。初日とか金曜日はお席に相当余裕があります。荷物があっても大丈夫。あと、そんじょそこらの小劇場ではお目にかかれない美人揃いの夢知無恥女性陣。ビックリしますよ、オナラでちゃうかも…。え〜かぶりつきで観たい人は平日がオススメです。一番前でオナラはなしね。土日も今なら席があります。ぜひ! 
19日19時、20日19時、21日14時・19時、22日13時・17時
恵比寿・エコー劇場 ご予約は090-8054-6849(10:00〜18:00)
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2012年02月16日

淡島さんが拾ったバレーボール

淡島千景さんがあちらへ行かれました。ちょっと前ですが、仲代さんの役者生活60周年の企画をやるのに、仲代さんが出演した昔の映画の写真をとことん探していました。その中の共演者との写真に「ちょっとこれ誰?」って思わず手をとめて周りに声かけちゃうくらいのバツがグングンの美女の写真を見つけました。それが淡島千景さんです。ハンパない美女光線放ってました。宝塚の大スターで、扇千景さんも淡路恵子さんも彼女のファンだったために字をいただいたそうです。凄いですね、さらに手塚治虫も大ファンで、リボンの騎士のサファイアは彼女がモデルだそうです。どこかけれん味と品のある女優でした。最近の作品だと「大停電の夜に」の過去のある奥さん役、「春との旅」のお姉ちゃん役もよかったなぁ。
でも、今回淡島さんについて書きたかったのは女優の話ではありません。ずっと前に波瀾万丈系の番組で知った、彼女が個人で持っていた社会人バレーボールチームのことです。個人でですよ。
遡ること48年前の1964年、今上映中の「三丁目の夕日 64」でもとりあげている東京オリンピックが、この年開催され日本中が湧きに湧きました。中でも回転レシーブで有名な東洋の魔女、女子バレーボールチームは激闘の末金メダルを勝ち取り、日本中が湧いた頂点にいました。
当時、淡島さんは新聞社の依頼でバレーボールチームの観戦記を書いてたそうです。それが金メダルとっちゃって、それはもう大喜び。うれしいもんだから祝賀会で、つい選手達に家に遊びにいらっしゃいと声をかけちゃったそうです。選手は選手で大スターにそんな事言われたもんだから、大喜びして大挙しておしかけちゃった。そして、そのままなんでだか何人かが合宿することになったそうです。
昔のスターは違いますね。バレーを離れてみると、選手たちはバレーばっかりしてたんでどこにも行ったことがない。バレー漬けで遊びを知らなかったんで色んな事経験したくなったんでしょう。そこで大きなポケットをお持ちの淡島さんが色々連れてったり、京都見物させたりしたそうです。しかしおかしなもので、遊んでいるとまた、バレーの虫というヤツがむくむく出て来ちゃう。今度は国体に出たことがないので出たいと言い出す。みんな若い頃からナショナルチームに入ってるんで国体なんか出たことがなかったんでしょうね。ワガママといえばワガママ。でも淡島さんにとっちゃあそんなワガママ屁でもない。じゃあ出てみようという事になった。国体に出るにはチームをつくらなくちゃ出られないんで、淡島さん個人がオーナー、マネージャーで「富士クラブ」というチームを作っちゃった。すごいもんです、昔のスター。ポケットの大きさが違いますよ。国体って県の代表なんだから東京のチームで予選からやったんでしょうかねぇ。ちょっとそこんとこ忘れましたが、もともとメンバー全員東洋の魔女、少し遊んでブランクあったって世界の金メダルなんで国体なんてお茶のこサラサラ。あれよあれよと勝ち進み優勝しちゃった。国体優勝チームのオーナーが個人なんて、なんてカッコいい事。自分のチームが優勝するって楽しかっただろうなぁ。
淡島さんに合掌、いやトス!

タグ:淡島千景
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2012年02月14日

今頃やっとなんですが…

テレビとかダラダラ見聞きしていると、CMとか番組のどーでもいいとこなんかで、突然以前どこかで聞いた曲が流れてきて「あ〜なんだったっけ、なんだったっけ」と、、ここまできている状態になる事がママあります。ここまできているって、ほんとにあとちょっとで思い出しそうなのかな? そのヒネリだす時、脳はどうなってるんでしょうか、気になります。先日もそのなんだっけ〜になりました。ヒネリだす過程で「なんか映画だったぞ」っていうのがあって、しばらくして思いだしました。
「BABEL」に使われた坂本龍一さんの曲でした。

https://www.youtube.com/watch?v=DHUMsNRvEIs

「BABEL」は菊地凛子さんので話題になりましたが、いい映画です。ワタシはどちらかというと日本人以外の部分が印象に残っています。 ゲオで50円なんかで借りられたりするから、ここんとこ見境無く映画を観るようになりましたが、シーンが頭の中に住み留まる映画って少ないですね。年々少なくなりますが「BABEL」はまだ住んでいます。巧妙に編み込まれた時間軸の中を、負の連鎖が重く進んでいく辛い話。いい映画です。
曲の方は95年に発表された「Smoochy」というアルバムに入っている「Bibo no Aozora」でした。「美貌の青空」っていうタイトルがステキですね。詞もいい。アイドルばっかりやってるイメージの売野雅勇さんの作。みてろ〜みたいな感じですか、センスがいいです。今回使われたのは歌なしの「/04」に収録されたトリオバージョン。その名の通り12年も前の2004年のアルバム。このチェロが凄いです。アナログじゃないみたいです。

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95年に発表された曲が、2004年にトリオになって、それを気に入った人が2007年に映画に使い、2012年にやっと見つける。今頃ですか?って言われてますね。
さっそくアマゾンで「/04」買いました。Rain、Merry Christmas Mr. Lawrence、Riot in Lagos、Asienceなど聞きやすい名曲ぞろいです。でもやっぱり「Bibo no Aozora」今日のような美貌も形無しの曇天によく合います。
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2012年02月09日

「このへんでドロンします」

ニュースでdrone(無人偵察機)という言葉を見た時、ドロンしますがすぐ浮かびました。英語でも無人。日本語でも消えちゃう事。言葉は不思議です。雄バチやハチの飛ぶ音もdroneだそうです。ハチの飛ぶ羽音はドロンドロンとは聞こえないなぁ。やっぱりハチはブンブン。さて「このへんでドロンします」、これは7年くらい前に企画出版した本のタイトルです。

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内容は「このへんでドロンします」に代表されるユル〜い死語フレーズをバカバカしくまとめたもの。死語ってのがイヤなので、へっぽこフレーズとしました。へっぽこフレーズをイラストと解説文で紹介するくだらなくって空いた時間にすぐ読めちゃう本です。

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イラストはバカドリルなど脱力くだらな系の王様タナカカツキさんにお願いしました。
ラフな線がいいですね。 タナカカツキさんはいまもその道で大活躍です。(最新作のサ道とはサウナ道のこと)
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へっぽこフレーズとは、「俺、ひょっとしておじゃま虫?」「おまえの母ちゃんデベソ!」「美容室でパーマあててきちゃった」「だってもあさってもない」「さよ、おなら」「ウチのワイフの手料理、どうです」「あの娘にほの字だろ」「俺、ひょっとしておじゃま虫?」「おととい来やがれ」「あっ社会の窓があいてる〜」
などなど…いまの30代後半〜50代前半にはこたえられない懐かしいユルいフレーズのことです。いまの20代はなんのことやらだし、60才以上は日常会話なんで面白さがわからないでしょう。「シミーズ」「えもんかけ」「バンド」「帳面」などのへっぽこ単語も載ってます。
こういうゆる〜い言葉ってまだまだどんどん使うべきですね。例えば電車の中でうっかり居眠りしちゃったおじさんの、チャックがうっかり全開だった時、近くに女子中学生が群れてでもしたら大変です。「しんじられな〜い」「キモ〜イ」といった罵声が容赦なくオジサンの薄くなでつけた頭に降りかかっちゃうことでしょう。電車内が変態、痴漢出現で大パニックです。
こんな時誰かが「社会の窓があいてますよ」と軽く一言かけてあげれば、中学生のカワイイ「クスクス」ですんじゃいます。「社会の窓」なら誰でも躊躇なく声に出せるでしょう。おじさんもうっかりミスで済み、そのテレ笑いで逆に電車内の緊張がほぐれ明るくなります。なるかもしれません。…たぶん…おそらく。
ミスといえば、この本が出版された時、ラジオの声がかかって「吉田照美のやる気マンマン」の新刊本紹介のコーナーに出た時のこと。ここでうっかりというか大ミスをしたんです。自分の出演時間になって吉田さんと小俣さんのいるスタジオに入った時、調子にのって「おじゃま虫しま〜す」といって入ってしまいました。あっちゃ〜。スタジオが−5°下がりました。ああいう情報もののラジオって秒刻みなんで台本にない事やるとダメなんです。毎日本紹介してるから今日の本を細かく読んでる暇なんかない。それから20分…長かったなぁ。
いま改めて読み返すと、やはり愉快で愛すべきへっぽこフレーズの数々ですが、へっぽことして笑える言葉だったのが、ただ懐かしいだけの言葉に変わっているものが多くありました。実際にへっぽこフレーズを使ってた時代が遠い過去になってしまったせいでしょう。自分たちの世代が、下から笑われる、ネタにされるフレーズを持っているのかな?へっぽこフレーズが豊富だった世代がうらやましくもあります。
タグ:ドロン
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2012年01月09日

デザイナーになる前にした仕事 その2

昨日見た友人の日記に「365歩のマーチ」のインド版の話がのっていました。それはそれで面白かったんですが、「365歩のマーチ」という言葉を見たとたん、頭のどこかに隠れていた遠い昔の記憶が、急にワンツー、ワンツ−と蘇ってきたんです。
大学を卒業してすぐの22か3の頃。その当時は登録制のタタキの仕事をしてました。タタキとは大道具のバイトの事で、舞台や展示場、テレビなんかに必要な人工としてその都度駆り出されるんです。今考えると酷い話なんですが、能力関係なく呼ばれるので、素人のオレが間違って、出来る人として現場に呼ばれ、なにも出来ずにご迷惑かけることもしばしばでした。

少し肌寒い…秋だったかな、その日も間違ってこれ以上ない大舞台に呼ばれました。現場は芝の郵便貯金ホール、水前寺清子さんの初リサイタルです。20年近くの歌手生活でなぜか初めてリサイタル。楽屋と舞台裏方には朝から緊張感漂ってました。演歌歌手として一番人気があった時、紅白ならトリでしょう。大スターです。オレはというと上手の袖の雪ふらしの綱元係とドライアイスの筒先担当を言われ、やった事もないのでドギマギしてました。その時、水前寺さんにも水前寺さんの歌にも全く興味がなく、ないというより演歌は嫌いだったので与えられた仕事を無事こなす事だけを考えて準備していました。
夕方の開場の時間になって、ザワザワと観客が入ってきました。緞帳の中からでも熱気が伝わってきます。舞台上もあわただしくなってきて、舞台監督さんたちが右往左往してます。オレはやる事がわからないので袖の片隅でジッとしてると、平台で作られた着替え用のスペースから水前寺さんがタキシードで現れました。
「アタシがこんな格好っておかしいよね、ハハハッ」
「い、いえ」
「はじめてだよ〜こんなの〜いつも着物だけだもん」
と言いながら通りすぎていく水前寺さんは楽しそうです。
そうこうするうちに2ベル1ベルが鳴り終わり、開演時間になりました。
緞帳前で司会が始まります。司会はあの名調子の玉置宏さん。
最初の曲はもちろん「365歩のマーチ」演奏はダン池田とニューブリード。
悪魔の遠吠えのような、ドスの効いたものすごい声が聞こえてきます。
「ヂーダー」「ヂーダー」なんだ?「ヂーダー」って
あっチーターか、だ、だ、誰が、この低い声は男?女? 
こっそり袖から客席のぞくとビッシリ埋まったご年配の女性軍。
その1500人あまりがいまかいまかとチーターを呼んでいます。
地底に引きずり込むような「ヂーダー」 ブルブルッと震えがきました。
ダン池田のタクトが小さくカウントをはじめました。
ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、「ヂーダー」ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、「ヂーダー」緞帳はまだ上がりません。
チーター本人はスタッフと談笑して余裕な感じ。ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、「ヂーダー」ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、「ヂーダー」まだ、まだなの、こんなに長いワンツーでいいのか…まだまだ、まだまだ、ワンツー、ワンツー、ひっぱってひっぱってひっぱって、やっと緞帳が上がると同時に
プア〜パパパパパ、プア〜パパパパパ、とこれでもかとトランペット、パパパパパパパパパパパパ、パパパパッパパ〜ン
舞台階段奥にスポット!タキシードのチーターがセンターからマイク片手に颯爽と登場です!
会場全体を1500ものハートをそのコブシの中に掴んでいます
「幸せは〜歩いてこない〜」
地響きのような歓声と拍手、しょっぱなからフィナーレ、トランス状態
プア〜パパパパパで背筋に火花が走りました。
やられました。演歌なめてました。「365歩のマーチ」バカにできませんよ。
興奮状態で雪を降らしまくっていたら、舞台監督に
「バカ野郎!ティンパニーの上に雪が乗っちゃって音でねえよ」
とド叱られました。 が楽しかったです。
「幸せは〜歩いてこない〜だ〜から歩いていくんだね〜」
こんな単純な歌詞でも感動させられるのはチーターだけかもね
タグ:水前寺清子
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2012年01月06日

ムーンライダーズで暮れて、柏原くんで明けました

あけましておめでとうございます。今年の年賀状はこんな感じです。

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将棋がわかんない人にはチンプンカンプンですが…んっチンプンカンプンっていいですね。普通に会話で使いたいです。「何言ってるんだかチンプンカンプンだよっ」「あ〜ネットってチンプンカンプンだっ」とかね。脱線しました。…んっ脱線もこれまたいいですね。「ゴメ〜ン脱線しちゃった」なんてね。
こんな事繰り返してると訳わかんなくなるんで、将棋の話。飛車が相手陣地に入ると龍王になり強くなります。その前に歩。まぁ龍年なんで、大きな壁に果敢に挑むみたいな感じでぇ〜っと、ご理解ください。ふ〜説明しなけりゃよかった。ふ〜はかかってないですから…あ〜終わらない。
去年の暮れは、35年続いた「ムーンライダーズ」の無期限で活動休止という寂しい お知らせがあり、中野サンプラザのラストコンサートに行ってまいりました。強者揃いのファンが多い中ワタシは新参者ですが、それでも「ムーンライダーズ」のコンサートに行き始めて15年は経ちます。20周年も30周年も行ったのになぁ、35周年は袖をベチョベチョに濡らす覚悟だったんですが、涙も感傷もない淡々とした、いつもと変わらないLIVEでした。それがかえって近い未来の新たな出会いを予感させて少し安心しました。40周年、きっとあるでしょう。最後に色んな歌詞の羅列がステージ上のスクリーンの中を流れるんですが、その中で一番印象に残った一言。「翻す旗をもっているか」どの曲なのかまだわかってませんが、自分は旗をもっているんでしょうか。

ムーンライダーズ最初のアルバム「火の玉ボーイ」鈴木慶一になってますが、ここから始まりました。火の玉ボーイとは細野さんのことです。
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そんでもって正月の2日と3日、見ましたか?東洋の強さ。ふふん。在学中はは陸上部なんてまったく知らなかったのに、いまじゃ大OB面。オーブィーとしては嬉しい限りですが、なんだか強すぎちゃってつまんなかったですね。あっ石が飛んできた。
え〜大学の駅伝は大きなのが3つあります。出雲、全日本、箱根です。3つの一番の違いは走行距離。乱暴に言うと出雲は1人5キロ、全日本は1人10キロ、そして箱根は1人20キロ。なんで距離の違う3つを制覇するのは並大抵の事ではありません。東洋は、去年はじめてスピードレースの出雲を制して三冠が見えました。この時チームの中で1人不甲斐ない成績で、優勝インタビューの中うなだれていたのが柏原くん。続く全日本は、個人の持ちタイムが一番いい駒沢が制しました。東洋はと言うと、出雲で力が出せなかった柏原が猛追するも33秒差で涙。去年の早稲田には200キロ走って21秒差で涙。この2つの試合の僅差負け涙が今回の爆発的な強さを生み出したんですね。来年は柏原がいないから山で僅差にしてあげて、最終10区で5秒差でスルッと勝ちかなぁ。あっと大きいの飛んで来た。
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2011年11月09日

NYからハートを届けるいとこ

母方の叔父さんから親バカ通信なるメールが届きました。ニューヨークに行ってデザイナーをやってる長女の近況リポートです。もう10年くらい前だったか、文化女子を卒業して代官山でデザイナーのアシスタントをしていた時に何度か会いました。彼女はスゴくちっちゃい、そしてビンボー。ちっちゃいとビンボーは結びつかないようですが、そうでもないんです。20歳過ぎてたけど電車に子ども料金で乗ってました。ちっちゃいがビンボーを助けてたんです。一見、のん気で明るく見えますがタフでした。ひと月どのくらいでやってるの?と聞くと7くらいでと答える。7、ただの7?1人暮らしで? テレビやラジカセなんかも持ってない。そのちっちゃい体に貯えられたパワーは半端じゃなかったです。絶壁を楽しんでました。少しでも足しになるかと事務所で関わっていたお芝居(紀伊國屋劇場)のお手伝いを頼んだ事もありました。「消えもの」といって舞台上で役者さんが食べる海苔巻きを買ってから劇場に来るのも彼女の担当でした。「消えもの」覚えているかなぁ。それからしばらくして渡米。一度帰ってきた時、渋谷であったりしたけど、ホントにニューヨークは別世界。でも時間と生活、変化と成長は同じように世界中で進みます。
叔父さんからのメールは、親バカ通信というだけあって嬉しい内容でした。彼女がニューヨークで作ったジュエリーを日本で売っているというんです。United Arrowsにも置いてあるようです。でっかくなりました。さっそく青山のお店に見に行ってみました。こちとらあまりの普段着なので店に入ると浮いています。店員さんがさりげなく近くに。つかずはなれずついてきます。
オイ用心してるのか?「え〜ジュエリーが見たいんだけど…」 「プレゼントですか〜」とたん、やわらかい笑顔に。「これがオススメです?」ハートがいっぱい付いたジュエリーをすすめられる。
オッこれかな? つい親バカがうつって聞いてみた。
「これは売れてますか〜」「売れてますよ〜」しげしげ見てるので、脈ありととられ、置いてない商品を見せるためカタログを持ってくる。「作っているのは日本人なんですけどね」カタログの端に彼女の名前が見えた。間違いない。これか、こんなの作ってたんだ。「在庫はこれだけなんですか〜」「ほかにはないんですか」 「人気があって入荷するとすぐ売れちゃうんです」
「人気あるんですね〜そうですか〜」なんだかヤリトリがバカらしく思えて、下向いて笑ってしまった。
「どうしたんですか」店員さんが不思議がってる。
「すみません」「ハイ?」「すみません、いとこなんです。作品見に来ました」「携帯で写真撮っていいですか」「そういう事なら」すこし笑ってた。

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「ホント人気あるんですよ」 「だましたみたいですみませんでした」
店を出るとお腹がすいていた。たった10年なのに彼女が海苔巻き買ってきてた頃が何十年も昔に思えてきた。

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2011年10月21日

和田誠さんの垂らしたロープ

この間、和田誠展を見に行ってきました。たいがいの人は「あぁ線画の似顔絵描く人ね」くらいか、芸能通は「平野レミさんの旦那さんだよね〜」くらいにしか思ってないでしょうが、大変な大変な才人です。そしてこんなにモノの特徴を掴むのがうまい人は後にも先にも和田誠さんだけでしょう。
最初に和田誠さんを知ったのは子どもの頃、親が妹に買ってきた「ケンはへっちゃら」という絵本でした。
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まず、へっちゃらという言葉にやられちゃいました。子どもの時って言葉にやられちゃうんですよね。オナラとかって言葉聞いちゃうとはしゃいじゃうのとちょっと似てるかも。似てないか…。それと主人公ケンのポケットから色んなモノが出てくるのが面白かった。次にどどどっぷりはまったのが「お楽しみはこれからだ」。
ボロボロです。読み倒しました。
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これは当時「キネマ旬報」で連載していたんです。映画の名セリフシーンを1ページずつイラスト解説していまして自分が映画を観る時のバイブルでした。情報もなくDVDのない時代だったんで「お楽しみはこれからだ」に登場する映画がいつか観たい映画で憧れでした。高校1年の時です。本に何度も登場するビリーワイルダーの作品をどうしても観たくって、東京に行ったほどです。文芸座のオールナイトを観て帰ってきました。
その後東京で大学生活するようになり、おじさんに勧められた本がこれ
「倫敦巴里」
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空前絶後、ものすごい本です。これ以上の本に出会った事がない。普通の本の20倍くらい内容が詰まってる。説明しても足りないからぜひ買ってほしい!オレももう何冊か欲しい。と思ったらヤフオクでけっこうなお値段。でも買ってほしい、絶対損しないです。映画や小説好きにはぜひ。で、どんな本かというと一口で言うと贋作集。贋作なんですが贋作具合がスゴい。たとえば誰もが知ってる「兎と亀」のお話。これを世界の映画監督が映画を撮ったらどうなるのか?ジョン・フォード、市川崑、ヒッチコック、黒澤明、ベルイマン、山田洋次などなど、いかにもその監督が撮りそうな感じで脚本が書かれてる。イラストじゃないじゃない!そう和田さんの贋作はイラストだけじゃないんです。そして極めつけが川端康成の「雪国」。
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まずオリジナルとして川端さんの似顔絵の下に、雪国の有名な冒頭が書かれています。そして贋作。いろんな作家の似顔絵が描いてある。そこまでは普通です。和田さんのスゴいのはその何十人もの作家の文体、あるいは言いそうな文体で雪国を書いている事です。野坂昭如、植草甚一、淀川長治、永六輔、大藪春彦、五木寛之、井上ひさし、横溝正史、司馬遼太郎、村上龍、谷川俊太郎、などなど…
つかこうへい         井上ひさし
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五木寛之           横溝正史
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ほかにもビートルズのメンバーを色んな画家、ゴッホやシャガールやルソーのタッチで描いてあったり、007を色んな四コマ漫画家のタッチで描いてあったりと、お腹がパンパンになる1冊です。誰も敵わないですね。
デザイナーの仕事をするようになって1度だけお仕事頼んだ事があるんですが、和田誠さんってデザインも自分でやらないとダメなんです。そうすると自分の仕事が無くなっちゃうんであきらめました。

個展の話に戻りますが、個展の中に演劇のポスターがあったんです。そしてその横に版下が展示してありました。創作過程がわかるようになってるんでしょう。デジタルの時代になり版下というモノが無くなってもう15年は経ちます。懐かしいなぁとシミジミ見てたら、なんと、これからのお芝居じゃありませんか〜。まだ版下なんだ。と感激しましたよ。
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こまつ座のデザインとシスカンパニーのデザインが一緒でいいのかな?とチラっと思いましたが和田さんのデザインはそういう枠を超越しちゃったとこにいるんでしょうねぇ。
会場を出たところで和田さんとすれ違いました。もう70も半ば過ぎてるんでしょうが、とってもとっても元気そうでした。思えば子どもの頃から、和田誠さんがはるか上から垂らすロープにしがみついて少しずつ登ってきたような気がしています。そのロープにつかまってさえすれば、面白いモノに当たり、好きなモノが見つかりました。恐れ多いのですが、同じ職種で、同じ演劇の土俵にもいるので、和田さんの目にとまるようなデザインを心がけたいです。
タグ:和田誠
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2011年10月18日

ダイドとサンチャと三茶と大道芸

秋の三茶といえば、なんでしょう? すぐ答えが出て来た人はかなりの三茶通。そう大道芸ですね。三茶の商店街が一堂に会して行う唯一の大イベントです。10月15日(土)、16日(日)は三茶で大道芸がありました。土曜日の朝は凄い雨風で心配しましたが、なんとか持ち直して、日曜には真夏のような陽気。行いがよかった人がいますね、きっと。大道芸はなんといっても天気が命、良かったです。

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このお祭りには10年以上毎年参加させていただいてます。チラシ、ポスター、フラッグにパンフレット、街中を自分の作ったモノが埋め尽くすのは嬉しいもんです。昔ですが、ちょっと失敗したのを自分だけ気づいた時は、全部剥がしたいくらいでした。まぁそれはずうっと向こうに置いておいて、やはり10年間の積み重ねがうまくいってるんでしょう。毎年すごい盛り上がり、いまや日本を代表する大道芸イベントになりました。お気に入りの芸人を観るには開始時間前に会場に行かないと観られないほどです。
ちょっと気になるのは、すっかりおなじみになったキャラクター。ピエロっぽいのがダイドで怪獣っぽいのがサンチャです。サンチャとダイドってそのまんまなんで、忘れようにも忘れないはずなんですが、いまいち浸透してないような気がちょいとしてます。
ダイド          サンチャ
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ちゃんとおなじみさんになってますか〜 これからもよろしくお願いしま〜す
イラストはイギリス人のジョン・シェリーさん。日本をこよなく愛し、日本に長く住んでいらっしゃいましたが、今は故郷のイギリスに戻られて絵本なんかで大活躍です。なのでイラストデータはネットで送ってもらっているんです。年々メールの日本語文章がちょこっとずつ面白くなってきてますが、データのやりとりのはなんの問題もないです。これってすごいですよね。
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2011年07月10日

水を渡るS君

土曜日、朝早くだというのに携帯電話がなった。
寝ぼけ眼でチラっと覗いたら母親だった。留守電も入ってる。
「ん〜もうちょい」またグズグズ眠りについた
暑いけど、眠い時は眠いのだ。


ちょっと年下のいとこのS君は、生まれた時から足が不自由だった。出産時の不具合によるマヒらしい。今の病院ならなんてことないのだとか。体や病気の運命は時代も大きく左右する。それでも彼はいつも笑顔だった。

S君の家は近所だった事もありよく遊びに行った。S君の家の隣はお寺で、夏祭りには「火渡り」という変わった祭があった。「火渡り」とは、まだ熱さの残る炭が撒かれたむしろの上を裸足で走るのだ。これに挑戦するため、毎年兄貴やほかのいとこ達とドキドキしながら出かけた。この度胸だめしで無病息災を願う。土間の入口には、水の入ったバケツが置かれ、決死の覚悟で走ってきた後すかさず足を投げ込んだ。実際は大した事はないのだが、足の裏が焼けたような気がしてこのバケツにつけると落ち着いた。オレらはきゃあきゃあいいながら度胸だめしを楽しんでいたが、彼の姿はなかった。子どもだった事もあるが、S君の歩く事の苦労をよくわかっていなかった。

S君は結局うまく歩けるようにはならなくて、小学校も車椅子で通った。彼の望みはみんなと同じように普通の学校に行く事だった。その強い意志を受けて、地元の小学校は、はじめての車椅子の生徒を受け入れた。スロープが入口についたが、エレベーターがなかったため、教室を上下階に移動する時は同級生がかわりばんこに彼を背負った。
それから何年かして、S君は親の反対を押し切って関西の大学で一人暮らしをはじめ、またまた親の反対を押し切ってそのまま遠い地で就職した。親に心配される事がずっと嫌だったのだ。彼とは10年くらい前に一緒にご飯を食べたきり会っていなかったが、その後親からはちょくちょくS君情報が入ってきていた。親というものはどうして親戚の誰がどうしたこうしたという話をしたがるのか。まぁそのおかげで、彼が数年前に本社勤務になって東京に来てることがわかり、年賀状のやりとりが始まった。
決まり文句の「今年こそ会いたいですね」をお約束で交わしていた。

しかし、いいかげん「今年こそ〜」もないだろうと去年の暮れに一念発起し、S君まじえて「東京いとこ会」をやることを計画した。したはいいんだが連絡ができない。住所はわかるけど電話番号がわからないのだ。それで田舎にいるS君の親に電話すると「最近ヨットばっかりやっててねぇ なんだかわからんけど先月までオランダ行っとっただよ」と言われる。なんでヨットの…電話切った後、ハタと思った。
ヨットでオランダっておかしくない?パソコンで打ってみる。
S君 ヨット 出た。 パラリンピック日本代表 えっ 
S君まじえて「東京いとこ会」が「S君囲んで東京いとこ会」になった。久しぶりに会ったS君はやっぱり笑顔だった。みんなからは、いつからやってただのルールがどうのだのなんちゃらかんちゃら質問攻め。そして彼からは日本チームはまだロンドンパラリンピックの出場が決まってない事。枠に入るにはランキングが上の2カ国には勝たねばならず、それもラストチャンスしかない事を聞いた。競技人口の少なさから、事業も仕分けされちゃってて予算もかなり厳しいらしい。彼の口調からは8割くらい無理な感じだった。


ようやく母の留守電を聞く。「S君、パラリンピック決まったって。以上」
親子間の留守電で以上って…
まぁそんな事はともかく、よく考えもしないでS君に電話した。
寝ていた ものすごく…スマン「もしかして外国? ごめんねオメデトウ!」
それだけ言って、あわてて切ってネットで調べると7月8日までがラストチャンスと言ってた国際大会だった。決めたばかりだったのだ。スマン。

オレが何年も惰眠をし、ボンヤリしている間に、彼は水の上をスイスイ渡っていた。
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2011年07月08日

東京のようかん

虎屋ではありません。洋館です。古きステキな洋館です。大正〜昭和初期の財閥は、絶大な財力を持ち、東京のあちこちに洋館を建てて優雅な暮らしをしていました。家族5人に使用人150人といった夢のような世界です。貧富の差というのは時に悪ととらえがちですが、文化はこうしたセンス良き大金持ちによって育てられてきたとも言えます。その洋館のいくつかがまだ残っていて、見学したり、場所によってはロケ撮影などで借りる事ができます。春先、チェーホフの撮影を洋館で行いたいと考えていくつか回ってきました。
○前田侯爵邸(1929年築) 井の頭線「駒場東大前駅」から徒歩10分くらい。
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加賀百万石のお殿様のお屋敷です。明治〜昭和ものの大作ドラマには必ずと言ってもいいほどよく登場する見覚えのある迫力ある玄関です。現在は目黒区が管理していて開館中は誰でも無料で見学できます。内部のデザインは剛のイメージです。暖炉以外に家具がないこともあり容赦ない天井の高さと部屋の広さに圧倒されます。ここのいいのは午前午後の2つの区分しか貸し出しがないこと。午前なら、建物まるまる午前中貸し切りです。しかも安い。ただ建物が休みの火曜日しか貸し出していないので競争率高いです。今回聞いた時は空いてたのですが、カメラマンと一緒にロケハンして戻ってきたら埋まってしまいました。仮抑えできないしキャンセル不可なので空いてたら借りちゃうくらいの覚悟が必要ですね。
○島津公爵邸(1915年築) JR「五反田駅」から徒歩10分くらい。
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日本の西洋建築の礎、ジョサイア・コンドルの作品。ちなみに公爵と侯爵では公爵の方が位は上です。そんな講釈は置いといて、ここはなんと、清泉女子大の中にあります。しかも公爵邸内部を現在も教室として使っています。なんて贅沢な生徒たちなんでしょうか?見学するには事前申込みが必要です。ロケハンに行った時、担当の方に洋館萌えな生徒が来たりしませんか?と不真面目な質問をしたところ、中にはいるかもとの事でした。逆にここまでスゴイのに、洋館にまったく興味がなかったら寂しいですね。ここはなんといっても外観が素晴らしいですね。外国にしか見えない。内部は階段なんかは前田邸に比べると優しい雰囲気です。島津家の紋をあしらった、丸に十字のステンドグラスなんかが入口にあったりしてステキです。難点は、実際に使っている建物なので撮影する場所かなり限られるのと、大学の忙しい時も使えません。タイミングとイメージがぴったりの時はぜひ使いたい洋館です。
○古河邸(1917年築) JR「駒込駅」から徒歩12分くらい。
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ここもジョサイア・コンドル作品。重厚な黒い石の壁が独特です。ここは申し込みすれば比較的簡単に見学できますが、見学中の撮影は禁止です。見学者は自らの記憶にとどめるのみ。だから借りて撮影する場合だけ内部の画像が見られます。そして、ここが今回の撮影場所。なのに貴重な内部を使わずに外壁をちょこっと使っただけでした。すみません、なにげなくしたかったので申し訳ないです。ロシアな雰囲気になったかな。ここは仮抑えができるし撮影にもとても協力的です。撮影しませんでしたが内部は和洋折衷のちょっと変わったアレンジもあり魅力的です。そういうのも日本の洋館の魅力のひとつですね。内部はいつか再チャレンジしてみたいです。
そのほかの洋館はというと、大河でまた一躍有名になった岩崎邸は現在撮影不可。赤坂プリンスホテル旧館は赤プリがなくなったのでこれまた今は撮影不可。そのほか色々聞いたんですが条件に合うものがなかなかありませんでした。
なら、横浜に洋館いっぱいあるじゃないの?って言われそうですが、横浜の山手の洋館の内部の撮影はかなりきびしいです。傘とかストロボがつかえない、つまり電気が使えない、家具が動かせない、スリッパはかなきゃいけない…etc
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写真のようによさそうなとこもあったんですが残念です。
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2011年03月31日

3月 その2

14日
「炎の人」に実家の愛知の母親を呼んでいたので、断りの電話をする。
「ケセラセラで行こうよ」 ずっこけた。人は一面だけではない。
11.12.13日は都内の主な劇場が中止になった。その後同じ池袋でも、野田さんは劇場を開け、仲代さんは閉じた。それぞれの考えがあるのでどちらも正解であるだろう。文化、芸術、娯楽が悪と言う風潮にはなってほしくない。それが一番恐い。ただ演劇の灯を消したくないと野田さんや三谷さんはおっしゃっていたが、舞台を天災でやめることと灯が消えることと一緒だとは思えない。仲代さんの演劇の灯は燃え続けている。
野田さんの今度の芝居は2月に観てたのだが、ピンとこなかった。先日、大きくものを創りたいとおっしゃっているので、テーマも大きいのだろうが自分には伝わってこなかった。こんな大震災が起きた後に観た人はどう感じたのだろうか?わかりやすいまとまった芝居ばっかりの今、全部は理解できないけど、ぶちのめされるような舞台が観たい。 最終的には面白いか面白くないかだけしかない。
19日
加藤健一事務所の稽古場での撮影。
「滝沢家の内乱」滝沢家とは滝沢馬琴の家のこと。馬琴と息子の嫁の二人芝居。余震はあったが計画停電もなく撮影は無事終了。
21日
春分の日。催眠術の日(321)。そして誕生日。そんなことより
9日ぶりに救出されたおばあさんとお孫さんのニュース。よかったよかった。
24日
この日は三宿のスタジオで撮影。計画停電もなかった。スタッフと話すのはやはり地震のこと。自粛のこと。被災した方々のことを考えるとぜいたくも言えないが、広告、イベントなどが軒並み中止になり業界的には誰もが不安な毎日。あるお仕事を一生懸命やるしかない。能力的なこともあるが…。
31日
ユニセフの小さな図書館に本を送る
http://www.unicef.or.jp/kinkyu/japan/2011_0327.htm
プレゼンなどで集めた事務所にある絵本や児童書、家にあった絵本を持ち寄った。少しでも役立てることが見つかってうれしい。

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今回のとんでもない大災害。100年に一度と言っているけど、ひょっとしたら日本が出来てから最大かもしれない。そしてまだ終わっていない。これから先も不安だらけだ。
ただ東北のこどもたちは、思いやりのある良い子に育っていくことだろう。それだけは間違いない。
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3月 その1

9日
前進座創立80周年記念パーティー に出かけた。
1000人近い人でごったがえしている会場で三津五郎さんを見かける。八十助さん時代、保険会社の80周年の新聞広告に出ていただいたことを思いだした。
九州の演劇観賞会の方がいらしたのでご挨拶。やはり11日の無名塾公演「炎の人」の初日にもいらっしゃるようだ。
10日
加藤健一事務所の次の作品をやることになり、衣裳合わせに東京衣裳へ。衣裳屋さんや小道具屋さんに行くのはなんだか楽しい。俳優さんと一緒に、いろんなお芝居の衣裳が詰まった段ボールの間をぬけると畳二枚くらいしかないスペースに出た。その小さな部屋で着物の衣裳合わせなのだが、入ると真っ黄色の「炎の人」のチラシが目に飛び込んできた。衣裳さんのお顔に見覚えがある。そうだ、能登でお会いした衣裳さんだ。
「いまゲネやってますよ」「明日初日行きますか」
衣裳合わせの合間に、控えめにちょこちょこ話す。
思いがけなかったので嬉しかった。
11日
いつもよりいい格好をして出勤。公演は7時。ご飯食べてダラダラしてたら、グラグラっと来た。地震だ。ストーブを消し、ドアを開けて、だるまさんがころんだ状態で待つ。「けっこう大きいな」と感じたのだが、まだ余裕ぶっこいてた。とたん、グゥオラーと凄い揺れ。猿のシンバルのおもちゃが棚から落ちて騒ぎだす。バタバタと本が落ちる。あわててスリッパのまま明治通りに飛び出した。近所のビルから何百人もの人が出て来た。余震はしばらく続いた。はじめて体験した大きな揺れだった。
それでもまだ気持ちはのんびりしていた。事務所にはテレビがないし、大惨事だとは想像できていなかった。駅まで行ったが電車は動きそうもない。
どうする初日。確率は低いが、劇場が大丈夫ならお客さんが10人でも演るかもしれない。いたる所に電話するが携帯はおろか固定もつながらない。個人のブログやHPにも出ていない。そうこうするうちに5時を過ぎた。演るのか中止か。
恵比寿〜池袋サンシャイン劇場まで10キロくらい。明治通り1本だ。歩くか。途中でバスに乗れるか、また電車が動きだすかもしれない。マラソン選手なら30分で走れる距離。なんてことない…なんてことあった。運動不足もあり2時間半かかった。2幕からでもと考えて歩いていたのだが、劇場へつくとエスカレーターも止まっていて120パー中止の雰囲気。暗い…。一応挨拶だけと思って4Fの劇場へ。
「あれっどうしたんですか? 中止ですよ」みんなの顔は落ち着いている。騒動の波が引いておさまっている感じだ。松崎さんがお茶を出してくれた。一気に飲んで、堅苦しい上着を脱いで座ったら落ち着いた。
やはり中止だったか…。津波が凄いんですよ、進藤さんがテレビを見ながら教えてくれる。携帯のワンセグではよくわからなかったが半端じゃない。
一息ついてからまわりの様子を伺うと、役者さん達はどうやって帰るか、何台かの車に誰が乗れるのか算段をしてる最中。やさしい中山さんが、僕いいですよとか言ってて、誰が書いたのかホワイトボードの○○車の名前の一番上にオレの名前が…あっちゃー。すかさず
「帰ります」といって劇場を出た。「明日やるかどうかは五分五分です」と言いながら本郷さんが出口まで送ってくれた。KY…これこそKYだったなと帰り道反省。行きは急いでいたので疲れたが帰りはそんなでもなかった。道々お茶を配っている人、トイレを貸している店があった。往復したバカモノはオレだけだろうが、みんな自分の足で帰宅した。江戸時代は普通だったんだろうか。渋谷まで来ると電車が動いていた。
13日
五分五分…11日の夜の時点ではそんな感じだった。
大地震に大津波、そして原発で0になり、仲代さんが全公演中止を決めた。決断の早さ、潔さに驚いた。78歳、そのうちまた演ればいい はない年齢だ。舞台の出来も素晴らしかっただけに残念だが、一番演りたかったのは仲代さんなのだ。
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2011年02月04日

父のフクワ〜ウチ

 すっきりと晴れた朝。真冬の暖かい日は空気が澄んでいて、いつもより鳥の声が大きく感じる。ヒヨドリとシジュウカラがひときわ騒がしいのだが、あいつらが何かよこせと五月蝿くなると春が近い。春になれば食べ物も増えるので静かになるんだが、それはそれで寂しい。今は鳥が人に近いところで騒ぐ季節なのだ。
 駅までひたすらサッサカ歩いていると、道に白くて丸いものがパラパラと落ちているのが見えてきた。見渡すとあちこちにパラパラしている。そうか、節分の豆だ。通り沿いの家の窓から次々に投げられた豆。「オニハ〜ソト」子ども達の高い声とお父さんの大きな声。「オニハ〜ソト」今度は老夫婦の落ち着いた声。昨夜の家々の嬌声が目に浮かび愉しくなった。鳥たちはその豆はもう俺たちのものだ、早く行けと上からまた騒いでいる。

 父は節分を率先してやる人だったが「鬼は外」が嫌いだった。鬼を忌み嫌い、追いやることがしたくないというのだ。だから家の節分は、外には豆を撒かず家の中への「福は内」だけだった。昼間、幼稚園や小学校でさんざん鬼をやっつけてきたので納得はできないが、父には兄も私も妹も絶対服従でそれに習え。しょうがなく小さな声で「フクワ〜ウチ」。見えない強敵に弱点である豆をぶつけられず、釈然としなかった。ガラガラっと窓を開け、あらん限りの大声で「オニハ〜ソト」をやりたくてうずうずする。どちらかといえば、いやどちらか迷わず節分には「鬼は外」で鬼をやっつけることが楽しみなので、大きな声がでるはずもない。父親の大きなフクワ〜ウチと弱々しい小さなフクワ〜ウチ、それが我が家の節分だった。

 暮れのある夜のことだった。裏口で何か物音がするので私が出ると、見知らぬ小さなおじさんがニコニコしながら立っていた。ピンポンしてくれればいいのにと思いながら、名前を聞いて母に告げると、一瞬顔を曇らせて父につないだ。「誰?」母に聞くと、父親の幼なじみらしい。父は外でおじさんとしばらく話をしたあと、筆で書かれた紙を持って戻ってきた。父はなんとなくばつが悪そうだったが、その紙を見て
「あいつ小学校しか行ってないのに、宜敷くなんて漢字で書いてるよ」と笑いながら母に言った。母は紙も見ずに「知らないですよ」の一言。私が知ってるのはその一度きりだが、何度か来てたのかもしれない。たぶん無心なのだろうが父は嫌そうではなかった。

 亡くなって、もう十数年経つというのに、毎年二月三日が来ると、父の「フクワ〜ウチ」の大声を思い出す。人を嫌わず、福をひたすら呼び込もうとしていた父の事がやっと少しわかってきた。
タグ:節分
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2011年01月27日

いつでも、なんでも、いくらでも

ここんとこの不況の波は我々デザイナーにも押し寄せてきているので、年賀状とかメールのお返事とかには、「今年はいつでも、なんでも、いくらでもをスローガンにやってますのでドシドシお仕事ください」なんて書いている。
マス広告やっていた若い頃は、媒体が大きくなればそれにこした事はない、という変な意識があったけど、今は全くそんな考えはない。むしろ小さいモノ、予算の少ないモノの方がやりがいを感じることが多かったりする。かえって担当者が一生懸命で、気持ちの通じ合う速度も早いのだ。なので本当に「いつでも、なんでも、いくらでも」。声をかけていただいたことに感謝し、仕事を断ったことはほとんどといってない。
でも…ほんとになんでもでいいのか。昨日恵比寿のアトレの本屋でその本を見た時に考えさせられた。例のリンゼイさん事件の犯人の手記本だ。まだ判決も出てない時になぜ出す? 刑期が終わったあと、あるいは数年後かそれ以上か、加害者が反省を刑務所の中で書いて出版されたモノなどとは明らかに違う。売れればなんでもいいとしか考えられない。編集担当者のいやらしさにムカムカする。それをPOP付きの平積みで売る書店も書店だ。装丁家の名前を見てまたショックを受けた。装丁の仕事をしたことがある人なら誰でも知っている憧れの人だ。もともとは斬新な演劇のチラシデザインで売れっ子になりいきなりフリーになった人。この人の初期のチラシはほとんど持っている。自分がチラシのデザインをはじめた頃から表も裏もためつすがめつ参考にした人。
やってほしくなかった。
オレにはこれを売ることを促進させるためのアイデアはやっぱり出せない。
昔、原発の仕事が来た時にどーしてもできないと言って断った先輩がいた。新聞の15段だったので常務は怒っていたが、「あいつの気持ちもわかるよ」とおとがめは特になく常務がやっていた。もっと昔、チェルノブイリ事故の何年か後のこと、イタリアのホールトマト缶のパッケージイラストを断ったイラストレーターがいた。万が一もない確率だったが、口に入るトマトを美味しそうに描けなかったのだ。
それよりももっと今回のは、たちが悪いと思う。
信じられないのだが加害者をカッコいいと思ったりする若者がけっこういるらしい。それは別にどーでもいいのだが、そのけっこうに便乗して売れるかもしれないと目論む出版社、その装丁のデザインをするデザイナーはどーでもよくない。
幸い今までやるやらないを悩むような仕事に出会ったことがないので、基本は「いつでも、なんでも、いくらでも」ドシドシなんですが、たとえ貧しくても心根は捨てないでおこう。
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2011年01月20日

真冬の珍客

いよいよほっぺたがピリピリするくらい寒くなってきた。帰り道にわき目もふらずチャッチャカ歩く時もあれば、ダラダラあーでもないこーでもないと、なんとなく考えて歩く時もある。この間はあーでもないの日だった。あーでもない時は冬の色んな音がよく聞こえてくる。メインは人を建物の中に押しやる冷たい風の音だ。夜10時を過ぎていたから尚更だった。風は木々の間をすり抜け、枝にふんばってついている葉っぱを落とすのに一生懸命。アスファルトの地面にはあきらめた葉っぱがクルンクルンしている。
今は枯れた生気のないコゲ茶の世界に見えているが、あと3カ月もすると全てがキミドリ色の生命力で埋め尽くされる。この繰り返しが1年なのだ。年々この繰り返しが不思議に思えてきてならない。自分が繰り返さないからだろうか。
家へは駅から一本道。最後に右へ曲がったらあとはいくらもない。
その最後の角の手前に、ものすごく大きな桜の木を囲んで建っているマンションがある。桜の幹の一番太い部分は4mくらいはあるだろうか。保存樹木クラスだ。桜の季節が楽しみなんだが、マンションが桜を囲むように出来てからはあまり楽しめなくなった。仲間はずれにされたようでなんだかシャクにさわる。
桜まで来た、あと少し。
今晩も寒風の中、桜は堂々としてるな、
そう感じた時、マンションの外にある、四角い金属のゴミ箱横の暗がりからガサコソ音がする。
「猫かな」と思って立ち止まった。
猫が年々好きになり道々の猫を見ずにはいられない。
ポケットの中から携帯を出して光を当ててみる。
小さい、子猫かな…子猫とわかるとよけい見たくなる。
今度は携帯のカメラにして撮影ライトで照らしてみた。
「額の真ん中に真っ白なラインが」
鼻立てすぎでしょ   って
「ハクビシンだ」

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一昨年の秋にいちじくを食いあさっている姿をチラッと見たことはあっても、
こんなに近くで見たのははじめてだ。
顔、手足、しっぽは黒く、胴体はグレー。体長は30cmくらい。子供だ。
「カワイイ」
しかしこんな寒空に大丈夫なんだろうか? 0度ですよ、たぶん。
田舎ではクマが人里に、都会ではハクビシンがマンションに出没する。
いやハクビシンがいる時点でもはや田舎グループに入っているのかな。
調べてみると駆除される動物らしく、嫌われものらしいが元は人間が放したものだろう。なんとか冬をどこかで乗り越えてほしい。
野良犬はいなくなり、外にいる動物といえば野良猫だけなので、違うイキモノに出会うとなんだか嬉しくなる。
帰り道はダラダラあーでもないで帰ろう。
タグ:ハクビシン
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2011年01月05日

2011年が明けました。おめでとうございます。

2000も11年になりました。母校の東洋大は惜しくも負けました。来年はやってくれるでしょう。しかしなんですなぁ。小学生の時に思った2011年はこんな感じじゃなかったです。宇宙旅行は当たり前、少なくとも車は空をビュンビュン飛んでいるはずでした。今から43年前の1968年に公開された映画、「2001年宇宙の旅」を観た時に2001年にはこうなるのかと真剣に思っていた。(自分が観たのは1970年代後半の完全版)なのでさらに10年経った2011年なんて想像も出来ないくらい進んでいるに違いなかったんです。それが…徐々に進化しているのでわからないかもしれないですが…そんなには40年前とは変わってないですね。近未来なデザインよりも古いもの好きなんでむしろ嬉しいんですけどね。
そもそも機能とデザインは一致する必要があるのか、と考えています。電気自動車はなぜ丸っこいのか?昭和な車で中だけハイテクでいいんじゃないかと思うんです。ちょっと前にキムタクのカローラのCMがあって過去と現在のデザイン比較みたいなことやってましたが(前に書いたかも)、断然昔の方がカッコいい。
家電なんかでも丸くてボタンや文字も丸くてでかすぎるっていうのがイヤなんです。ユニバーサルデザインを簡単だけに考えてはいけないとも思います。たとえば先端デザインぽくなくってクラシックなデザインなのに、中身はすんごい能力という風になったらいいのにという風にです。
ただすべてがそうなっていくと、外側だけみたらいつの時代かわからなくなるのが難ですね。

年初めのご挨拶というと年賀状。いつも拙いオリジナルでご挨拶させていただいてます。作る時の自分の中のルールみたいなのがあって、基本は写真。アイデアは干支を匂わせる事と、ものすごくお仕事頑張りますよ〜な感じを出す事。できれば干支の動物はださないでおきたいんですが、思いっきり出ちゃう時もあります。
今年は月うさぎの餅つき。アイデアは今一つなんですが力技で押し切りました。
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撮影には小道具探しから。まずちっちゃい臼がどこかにあるんじゃないかと思って探しました。北海道の臼屋さんが「笑うっす」というミニチュアの臼を作っているのを見つけ臼を注文。完成品は座布団、目、はちまきなんかがついてます。そして餅は自由が丘にある昭和な商店街、自由が丘ひかり街にある和菓子屋さん「大文字」さんに協力いただき、撮影当日できるだけこんもり丸形につくってもらったものをクネクネコネコネ、手を思いっきりベタベタネトネトあーだこーだいいながら撮影。撮影は自信がなかったのでカメラマンに頼んじゃいました。あ〜こんなことに申し訳ない。
ちなみに去年のは、ちびくろさんぼのバターになっちゃった虎。
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思いっきりバターになるまで頑張りまっす!の意が込められていたのですが…仕事的にはバターまではならなかったかなぁ。もっと走らないとダメですね。逆にお腹にバターがついてきちゃってますわ。このバターもCGではなく、2つの液体を合わせるとニャラニャラになる樹脂でつくりました。今見るとCGでも全然大丈夫な感じ。CGでやったのでいうと何年か前の酉年のコレ。
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ひよこにトサカが生えて順調のはずだったのに、厳しくていまだにピヨピヨ喘いでおります。
こんなのも出てきました。事務所を始めた頃の10年前、蛇年のヤツ。
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恵比寿神社で撮りました。懐かしいなぁ。
さてさて、今年のうさぎ年。皆様にはつきがいっぱいありますように…
いつもより多めにつかさせていただいております!
いつでも、なんでも、お手伝いできそうなことあったら声かけてください。
今年も宜しくお願いいたします。
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2010年12月14日

気になったらすぐ聞く、聞く

街を歩いていてお店屋さんに入った時なんですが、気になった曲があると、割とためらいも恥じらいなく、すぐ聞きます。おセンスいい方の耳の関所をくぐり抜けているのでけっこう当たりがあります。そんでもってすぐ密林へ

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まずはPSAPP 代官山を歩いていた時のこと。脇道のコジャレタSHOPからオモシロコジャレ系の曲が流れていて、ついつい誘われるようにお店の中へ…曲名はお店の中をぐるりとひやかしてから聞きました。。
流れていたのは「PSAPP」の7曲目「curuncula」。この遊牧の曲芸団を想わせるメロディが好きになり最近また「PSAPP」の別のアルバムを買いました。SHOPでは聞くだけではなんなのでTシャツを買いました。襟がノビるのが嫌いなのです。だから「このTシャツ、襟ノビないですか、大丈夫ですか」としつこく聞き、「これは大丈夫です!」と言ってたのにノビたので今や寝間着に格下げになっちゃいました。

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次はAKIKOさんの「Little Miss Jazz And Jive」これは横浜のランドマーク近くの地下街のSHOP。6曲目の「MR.SANDMAN」がかかってました。、パット・バラードの1954年の作品。四人組女性コーラスグループのザ・コーデッツが歌って大ヒットしたナンバーです。コーデッツの「MR.SANDMAN」もかなりオシャレ。曲は前から知っていて好きな曲だったのですが、ますます好きになりました。お店では黄色いTシャツをゲット。「炎の人」のデザインをしている時、モチベーション上げるためにけっこう着ていたのですが、ちょうどその頃やってた24時間テレビとモロかぶりなことに気づき急速にテンションが落ちました。

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「DAY&NAIGHT」と「cure jazz」は自由が丘の愛すべきラーメン屋「ひぶすま屋」さんで聞いたもの。お店にはhibu jazzという名の付いたおセンスが良いCDが何枚かあり、2曲ともその中に入ってました。これおきゃくさんがセレクトして作ってくれたそうです。おそるべき、ひぶすま常連。
「DAY&NAIGHT」の方で流れていたのは、achordionの9曲目「night&day」。ご存知コール・ポーターの名曲です。night&dayなんですが、なぜか日差しが入り込むぬくぬくした朝に合います。
「cure jazz」はUAと天才ジャズサックス奏者の菊地成孔のコラボアルバム。オシャレです。流れていたのは6曲目「Ordinary fool」。映画「ダウンタウン物語」でヒロインが歌った曲だそうです。最終曲の「Nature d’eau」も好み。
この4枚見てみるとリラックスしたコジャレタJAZZっぽいものばかり。暑苦しいのは苦手なのよねぇ。
ちなみに「ひぶすま屋」さんはおつまみもラーメンも美味しいんですが、Tシャツは売ってません。
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2010年12月09日

「冬の詩」に想う

松田龍平さんと黒木メイサさんが詩を読むCMが流れていて気になった。
言葉が、文体が、体温を持っている。あたたかい生きた言葉だ。
商品が背景にあって、何かにもたれかかっている広告の言葉とはあきらかに違う。調べたら、高村光太郎の「冬の詩」だった。

冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
見わたすかぎり冬だ
再び僕に会ひに来た硬骨な冬
冬よ、冬よ
躍れ、叫べ、僕の手を握れ

このあとずっと冬の情景を掴みとっていく長い詩だ。

広告としてはズルい。でも敵わないと感じた。
ちょっと前に浅葉克美さんが「くわさわ生活」と書かれた筆文字を持っているポスターがあった。これはパロディで、元ネタは西武の広告。ウッディ・アレンが「おいしい生活」と書いた筆文字を持っているヤツだ。糸井さんのコピーで当時は画期的であった。ただ今それをもじられても誰も覚えちゃいないし感慨もない。普通の人は見てもわからないし、業界の人だってピンとこないだろう。そもそも今「おいしい生活」というコピーがあっても驚かないかもしれない。コピーはその時代の一瞬に強烈に表現されるが、長くは持たない。言葉が独り立ちすることはないような気がする。

それに比べて詩人の詩は何十年経ってもあせることなく心の深い所にジンワリジンワリ溜まっていく。
何年か前にネスカフェのCMが谷川俊太郎さんの詩を使ったことがあった。
商品の記憶はもう遠くなったが、情景を持った言葉はいつまでも残っている。

「朝のリレー」谷川俊太郎

カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる

それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
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2010年11月12日

瓦礫になったタコ

恵比寿の事務所から歩いてすぐ、ほんとに1分の所に公園がある。公園に向かう角を曲がるとピンクのタコが腕をにょろにょろのばしていて腕の中を子どもたちが遊んでいる。通称タコ公園だ。恵比寿に住んでたり仕事している人なら誰でも知っているタコ公園。ガーデンプレイスや恵比寿像とまではいかないが、ちっちゃなランドマークであることには間違いない。メーデーの時なんか、「集合タコ公園」なんて張り紙がしてあったりする。当然子どもに大人気。登ったりすべったりもぐったりしていて、子どもたちの基地になっていた。
その公園の前を昼間通ったら、毎日必ず目入っていたタコの姿が見えない。タコが瓦礫になっていたのだ。なんだかとても切ない気持ちになった。リニューアルの為の工事らしいが、こんな壊し方でいいのか腹が立ってくる。昭和33年の開園当時からシンボルだったタコ。実に50年以上、僕が生まれる前からここにいたわけだ。
よくロケをやってた。よくお花見をやってた。よくいろんな人がお弁当食べてた。本当に壊さなければならなかったのか。新しいタコが出来るようだが壊したものはもう戻らない。へんなキャラクタータコになるような気がしてならない。昭和の匂いも消えるだろう。ピカピカしてれば喜ぶだろう的な傲慢さがまたここにも見える。もしどうしても壊さなければならないとしたら、ちゃんと告知をしてお別れの猶予期間をとるべきではなかったのか。子どもじみてるかもしれないが、文化はこういう所から滅び、確実につまらなくなっていく。

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