2016年10月10日

たまりやとホテル

事務所のある九品仏の文化といえば言わずとしれたD&DEPARTMENT。D&Dは事務所から歩いて7〜8分の所にありお洒落若者の巣になってます。日本の古き良きものをカッコ良く見せた草分けですね。カリモク家具もここから広がりました。カリモクって言うとカッコ良いですが、本来の社名は刈谷木材。愛知県刈谷市に昔からある家具屋さん。刈谷木材だとなんだかローカル色たっぷりで田舎っぽいのに、カリモクになるとミッドセンチュリー色豊なオシャレメーカーになってしまう…不思議ですね。岡崎木材とか蒲郡木材なんてのがあってオカモクやらガマモクってやってもあぁはならなかったでしょう。製品とリンクした戦略があたったんですね。さてさてD&D。
実は最近はあんまり興味がなくなってしまい、近くにあってもあんまり行かなかったんですが、先日ちょこっと寄ってd design travelの愛知版を買ってきました。d design travelというのは48都道府県の見所を各県1冊ずつ発行している本です。
aichi.jpg
その愛知版に、ブログやFBで偶々知り合った西尾のレストラン「たまりや料理店」が紹介されていると知り、手にいれてきました。「たまりや料理店」にはまだ伺ったことはないんですが、地産地消で地元の美味しいものが食べられる古民家レストラン。料理専門の小さな図書館もあるようです。気になった方はぜひ!
tamari.jpg
gama.jpg
本の中からのもう1枚は地元蒲郡のシンボル、蒲郡クラシックホテル。なんども登場させてますが、もともとは昭和4年創業の蒲郡ホテルです。廃業して蒲郡プリンスホテルになり、いまは蒲郡クラシックホテル。名前と経営者は変わりましたが昭和モダンのステキさはそのままに近代化産業遺産に認定されました。ひと安心です。実はうちの両親が結婚式第1号。昭和三十年代の田舎はホテルで式をあげるという習慣がなかったんでしょう。蒲郡を離れて30年以上経つというのに故郷というのは何かにつけて気になるもんです。
posted by gutter at 23:29| Comment(0) | 日記

2016年07月20日

花森だくさん

いよいよ朝ドラ「とと姉ちゃん」が「暮らしの手帖」へ向かいはじめました。はたして唐沢さんはスカートをはくのでしょうか?
今月の現在の「暮らしの手帖」にとと姉ちゃんが花森安治さんと作った創刊号(本物)の復刻本が付録でついてました。「暮らしの手帖」の前。まさにオンエア中の雑誌です。やはり終戦の翌年の1946年にファッションの本を出したってのがスゴイですね。
STYLE.jpg

自分が高校生や大学生の頃、もしかしたら花森さんが現役の頃とかも、本屋とか家で「暮らしの手帖」を見てはいたましたが、地味な主婦雑誌のひとつくらいの認識しかなく全く興味がなかったんです。ですが、グラフィックの仕事をするようになってから手書き文字がジワジワ来だし、あの古っぽい写真の印刷さえも魅力に思えてきて、今では仕事マイカップも花森イラストです。
DSCF1438.JPG
カレンダーなんかもここ10年くらいは花森さんになりました。今月はコレ。
DSCF1426.JPG
これまた偶然家に本誌がありました。1976年の 6、7月号。ちょうど40年前です。
DSCF1430.JPG
晩年の女性イラストシリーズです。値段は520円、今でいうと2000円くらいかな。けっこうします。でもしょうがないんです、広告がいっさいないんですから。
「暮らしの手帖」が一番素晴らしいのはこの広告がない、つまりどの商品も公平に扱えるということなんです。絶対真似のできない唯一の公平な目を持った雑誌です。広告がないからこそ出来る「暮らしの手帖」の企画に、商品テストがあります。各メーカーの商品をあらゆる角度から容赦なくテスト。これ以上の消費者目線はないですね。以前自分が広告をやっていたチャイルドシートがとりあげられていたことがありましたが、各メーカーのチャイルドシートを自動車につけて衝突テストをやってました。ハンパないです。
ついでにもうひとつ。毎年夏に神田である素人も参加できる古書入札会に、今年原画が出品されていました。
img_5_m.jpeg
34点で10万は安すぎると思い腰が浮きかけましたが…最終的にはかなりお高くなったようです。旬ですし、そりゃそうですね。これを見てて面白いのは文明というタイトルも毎号描いてるらしいこと。なんで毎号タイトルを書いたのか?解せん。…愛すべきこだわり変人です。
posted by gutter at 19:56| Comment(0) | 日記

2016年06月26日

大女優は撮らない、撮るかどうかはファッション次第だ

「私たちはいつもビルのために着るのよ」は
プラダを着た悪魔のモデル、ヴォーグの編集長アナ・ウィンターの言葉。

まっ青な作業服の上っ張り。二十何代目かの自転車。ニコンのアナログカメラ。カーネギーホールの上にあるスタジオが住処。50年以上ファッションをスナップでとらえてきた、写真家のビル・カニンガムさんが亡くなられました。
三年くらい前だったか、映画評論家でイラストレーターの石川三千花さんとお仕事の打合せした時の事。帰り際に図に乗って
「最近何かオススメ映画にありますか?」とお聞きしたら
「これが面白かったのよ〜」とチラシを渡されたのが
「ビル・カニンガム&ニューヨーク」
ビル・カニンガムさんのドキュメンタリー映画です。スゴク良かった。

E1368619627074_1.jpg

当時ワンディのコンタクトをしていたので、毎月のように駅前のメガネ屋さんに行っていました。そこにいつもちょっと攻撃的で面白いファッションの女の人がいたので
「今日も服が面白いね」と言うと
営業笑みで「ありがとうございます」と返してきました。それで
「ビル・カニンガム&ニューヨークっていう映画観た?面白いよ」ってつい喋っちゃったんですが、はじめて交わした私的な内容の会話がビル・カニンガム。あまりにも唐突だったのか引いていました。
彼女観たかなぁ。観ればいいのに…。今日の訃報のニュースを偶々彼女が目にし、奇跡的にオレの言葉を思い出さないかな。
ともかく観てない人はぜひ! マニアックでアーティスティックでスタイリッシュでファッションだけじゃなくデザインの本質がわかる映画。それとちょっとオシャレがしたくなるかも。
posted by gutter at 15:46| Comment(0) | 日記

2016年06月06日

12人を一発で撮る

今度の加藤健一事務所公演は「SHAKESPEARE IN HOLLYWOOD」1934年のハリウッドが舞台です。ハリウッドで「夏の夜の夢」の映画を撮っていると、そこに本物のオーベロンやパックが紛れ込んでしまって大騒ぎ!というドタバタ喜劇です。まぁシェイクスピアインというか妖精インハリウッドですね。面白いのはモチーフにした「夏の夜の夢」の映画が、実際にあったってとこなんです。1936年の製作で日本でも公開されています。昔のシェイクスピア映画のバックステージものの舞台…かなりややこしいですね。その本物の映画の方はオリビア・デ・ハヴィランドやジェームス・キャグニーが出てます。オリビア・デ・ハヴィランドは「風と共に去りぬ」のメラニーなんかで有名な女優さん。アカデミーの主演女優賞を二つも取ってます。「レベッカ」で主演女優賞をとったジョーン・フォンティーンは彼女の実妹にあたり、美人姉妹女優として活躍しました。いまだに唯一のアカデミー主演賞をとった兄弟姉妹です。キャグニーは言わずと知れたギャング映画のスター、ついキャグニーなのかギャグニーなのかわからなくなりますがキャグニーです。

hollywood0606.jpg

さて、チラシの撮影。布に切り込みを入れて、そこから顔を出して撮影することは決めてたんですが、1人ずつ撮るか列で撮るかで迷ってました。それでテスト撮影してみたら、1人でも列でもバラバラに撮るとシワがムチャクチャになって上下左右のシワがまったく合わないことがわかりました。自分の技術では合成が大変で不自然に…まず無理かも。それですべてのカットを一発写真で撮ることにしました。もちろん使用した写真は撮った写真の中からそれぞれ選んでいます。

さてさて撮影です。まず110cm幅のブロードを12m(4m×3本)買ってきて、横につないでお手製布バックを作り稽古場に吊るしました。それから背後に押し合いへし合い三列に並んでいただき、裏から布に顔や手を押し付けてもらってあたりをつけ、カッターで前から切り込みを入れ、そこからひとりずつ顔を出します。ぴょこぴょこ顔が出た時に面白くてイケルなと確信しました。しかし実にアナログ。手作り感満載。真ん中の列が中腰で顔を突き出すので体勢が一番きつかったですね、すみませんでした。無理をしてもらいましたが一発写真てやっぱりお互いの気持ちの交流が見えていい感じ。合成と一発では上がりに違いが出るような気がします。あっカチンコも出演者のマネージャーさんに協力していただき一緒に撮ったので実は13人。みなさん本当にありがとうございました。
posted by gutter at 20:10| Comment(0) | 演劇

2016年04月14日

マドレーヌの青春時代

ヴィンテージ家具のold maisonさんが、奈良にあるジェオグラフィーというカジュアルファッション店のリニューアルをやることになり、ちょっと面白いポスターの仕事をしました。リニューアルの内容が奇抜なんです。店内を映画「アメリ」をオマージュした架空の映画の撮影風景のようにしようというもの。そこでまず映画のタイトルとあらすじを考えてほしいと言われ考えました。映画のタイトルは「マドレーヌと366通の手紙」
POSTER
madeleine.jpg

マドレーヌとは、「アメリ」に登場するアパートの管理人。「マドレーヌと366通の手紙」は彼女の若い頃を描く作品です。つまりアメリと出会う前の映画。「アメリ」のエピソード0というかスピンオフ作品ですね。細かいストーリーはライターに考えてもらいました。
以下ちょっと長いけど
STORY
マドレーヌ・ウォラスは、夕焼けのような赤毛に、細い手足をした女の子。
生まれたのは下町のアパルトマン。航海士の父はいつも海の上にいたから、小さなマドレーヌは母親と二人きり。少女になり恋に憧れた時、自分が生涯を共にする人は、いつもそばにいてくれる人がいい、とマドレーヌは思った。波乱万丈も贅沢も要らない、ただ、一緒にいることが幸せで、その人も私と一緒にいると幸せなら、それが一番大事だと。
ところが、20歳のマドレーヌが恋をした相手は、蜜月のさなか遠い戦地へ兵役に取られてしまい、二人の愛はたくさんの手紙で育まれることになった。なかなか届かない彼の手紙、でもそれらは甘く優しい愛の言葉で埋められていた。マドレーヌは幸せだった。そう、戦地から彼が戻るまでは。戦地から帰って商売を始めた彼は、それが軌道に乗ると、将来を誓ったマドレーヌを捨てて、南米へ仕事の旅に出かけてしまったのだ(秘書と一緒に)。 
マドレーヌは、一度だけ彼を待つことにした。しばらくすれば目が覚めて、私こそがかけがえのない存在だと彼は気づくだろう。そして、私の元に帰ってくる。きっと。そうしたら、何も聞かずにただ「おかえりなさい」と迎えよう。それからは、子どもの頃から夢見ていた、いつも一緒の日々を過ごせるのだから、と。
マドレーヌは彼に手紙を書いた。毎日、毎日。いいお天気で朝ごはんのオムレツが上手にできた嬉しい日も、飼っていた猫が死んだ悲しい日も。小さな出来事も全部。彼から返事がなくても構わなかった。手紙は、遠く離れていても想いは一緒、という、マドレーヌの心の支えだったから。なのに――。
ある日、マドレーヌの元に届いた報せは、彼が交通事故に遭い命を落とした、というものだった。その日、彼の帰りを一緒に待っていた黒い犬も死んだ。彼からの手紙はとうとう一通も来なかった。彼が遺したのは、親から受け継いだ旧いアパートだけ。管理人に収まったマドレーヌは、それからの独りぼっちの日々を、ただ涙を流すためだけに暮らした。どうして彼は帰ってこなかったのか、本当は誰を愛していたのか…、想いを片付けられぬまま、何年もが過ぎた。やがて、このアパートに、彼女が恋に落ちた頃と同じ年頃の、ちょっと変わった女の子・アメリが引っ越してくるまで…。(以下略)

こういうお話を撮るという設定でアパートの部屋や八百屋などのセットがジェオグラフィーの店内に展開します。このストーリーは店舗や広告などには全くでてこない内容ですが、ストーリーがないと企画に芯がなくなってしまうので大切なんです。アメリが大好きな人ならちょこっとわかってくれるかな。

マドレーヌとアメリの世界に生まれ変わったお店
ジェオグラフィー イオンモール橿原店は4月22日OPEN。 お近くの人はぜひ!
posted by gutter at 20:16| Comment(0) | 日記

2016年03月06日

坊主丸もうけ

高校時代の同級生に武内という物書きがいて、その彼から久しぶりに本を書いたので興味があったらぜひ…というメールがきました。三陸の被災地を、八戸から仙台までの海岸線400kmを自転車でたどって取材した本だそうです。すぐにAmazonしましたよ。こういう連絡は嬉しいしとても励みになります。

51edL+lRCWL._SX341_BO1,204,203,200_.jpg

高校時代の高校とは愛知県の愛知高校。愛知高校という名前がさも県立のようですが曹洞宗系の私立。いまは共学ですが、当時はマンモス男子校。1学年50人みっちりいて19クラスもありました。当然、青いも春も薄い高校なんで大人になって同窓する機会も期待もあまりなく、同級生でいまだに付き合っているのは二人だけです。一人は前にも登場した加藤。彼は下等という名で放送作家を長くやっていて、20代の頃は一緒にどっぷりお笑い芝居なんかやっていた仲間。そしてもう一人が文筆業の武内。武内とはお互い生存確認くらいしかしない仲ですが、そこはデザイナーの自分とは同じ穴のムジナ。遠くから不幸せな匂いをかぎあっては安心しあってます。貧乏〜?オレもだよ〜?薄くなった〜?オレも〜みたいな感じですかね。

高校の三年の時、当時の校長がとてもワンマンで、教員組合などに全く知らせず、独断で受験料などを値上げしてしまうという暴挙があり、それに憤慨した教員組合がストをするという事態になったんです。授業以外の時間に正面入口で座り込むといったスタイル。こちとらストというものを見るのは初めてでした。その座っている先生達の姿に影響受けたのか、加藤と武内と三人である企みをしました。それは高校の中心にある、県内でも三本の指に入るであろうかという1500人も収容できる馬鹿でかい大講堂のてっぺんに、「坊主丸もうけ」と書いた横断幕を真夜中に忍び込んで張ろうというものでした。うちが繊維関係で布は山ほどあるので、三人で何メートルずつ生成りの生地を持ち帰り、それぞれが縫って合わせ5m×10mくらいの幕を作りました。その後、守衛の見回り時間などを調べたりしてたんですが…結局そこまで。実行する勇気も度胸もなかったんでしょう。もっともやっていれば退学になり、その後どうなっていたのかしれません。ただあの時のちっぽけな反骨の疼きみたいなものが、その後の三人を巻かれない自由業の道に進ませたのかもしれません。

posted by gutter at 01:46| Comment(0) | 日記

2016年01月29日

背中をごらんあそばせ

無名塾は長い巡演(約半年)ということもあり、スタッフジャンパーを作ることが多いんです。公演が始まり、楽屋に挨拶に行くとスタッフのみならず、仲代さんはじめキャストもみんなスタッフジャンパーを着ています。自分は事務所で寒い時に羽織る以外は着ないんですが、みんなが自分のデザインしたジャンパー姿で劇場中を歩いているのをみるのはとても嬉しく楽しい光景です。
デザインは、背中にタイトル、作演出家、仲代さん、無名塾が英語表記で入るのが基本です。
donqui.jpg   mac.jpg
『マクベス』のように仲代さんが書かれたカタカナの場合もあります。『ロミオとジュリエット』の時は能登バージョンはポスターと同じカタカナタイトルでしたが、巡演用は英語になりました。手前味噌ですが、どちらもイイですね。
romeo2.jpg   romeo.jpg
その他の要素としては演目を意識したカットなんかをあしらってます。色は2色。紙の印刷のようにはいきませんが、希望を言って塗料を組み合わせ、練り合わせて近づけてもらっています。色校は出ないので版下データを作ったらあとはおまかせ。頼んでいるのはずっと清水色彩さん。お会いしたことはないんですが、とても真面目な方で工夫もしてくださり安心です。ネットで同じようなプリントしてくれる所はたくさんありますが、直接電話で話せるし、色が微妙な場合は布地に刷った見本を送ってくれます。ジャンパー自体の色は黒が落ち着くってことで黒。
で、今回の『おれたちは天使じゃない』はこうなりました。
oreten.jpg
ジャンパーは出来上がったら巡演中の旅チームに直接届きます。こちらには見本はしばらくこないので、旅先に誰かのジャンパー姿を撮って送ってください と頼んだところ
futari1.JPG
…おそれ多いです。デザインはちょっと冒険でしたがいい感じに仕上がりました。
東京公演は3月5日から13日まで世田谷パブリックシアターで。観劇前後と休憩中に動きまわってるスタッフの背中にも御注目ください。
それから、もう売り切れの日が多いようなんでチケットはお早めに!
posted by gutter at 17:44| Comment(0) | 演劇

2016年01月08日

シェイクスピアポスター大集結

子供のためのシェイクスピアを製作する華のん企画さんから連絡があったのは一昨年の事。ちーとも知りませんが、有名なアメリカのデザイナーのミルコ某という人が世界中のシェイクスピアのポスターを集めた本を出版しようと考えていて、ついては日本の中では子供シェイのポスターが気に入ったので掲載したい。
そんな話でした。世界の1100枚の中に入れるわけですから嬉しい話です。
どの作品がいいんでしょう?と聞いたところ、全部送ってほしいと言われたのでデータをアメリカに送りました。それ以来すっかり忘れてたんですが、去年の秋に出来上がったという連絡を受け、暮れに本が届きました。

1.jpg

2004.jpg 2005.jpg
2006.jpg 2007.jpg
2008.jpg 2009.jpg
2010.jpg 2011.jpg
2012.jpg 2013.jpg

ハムレットならハムレットばかりという風に各演目ごとにまとまっていてとても見やすいです。こちらの作品は1ページまるまるドーンと掲載というのはなかったんですが、2004年から2013年までの全作品を載せていただきました。日本のポスターはほとんど載っていないので嬉しいですね。
ありがたいこってす。100%ORANGEさんの絵の力ですね。
さて、今年の子供シェイは『オセロー』です。さっそく本のオセローページーをチェック。アイデア真似ないで、より良いものにしなくては…う〜んハードル上がったかも…
posted by gutter at 20:57| Comment(0) | デザイン

2015年12月28日

ふたたびは進化する

2015年の仕事を振り返るとお芝居では再演のものが多く、どれも進化してました。
無名塾「バリモア」は稽古場で。80歳を越えた後の1年後です。なんとか無事にくらいに思っていましたが、なんのなんの現状維持どころか、笑っちゃうぐらいスゴかったです。どうとでも観てくれという怖さがありました。
加藤健一事務所は「バカのカベ」も再演ですが、進化という点では「滝沢家の内乱」。嫁のお路の成長譚という色合いがハッキリとわかるようになってました。忍さんの演技も良かったのですが、瀬さんを引き継いだ加藤さんの演出力が光った秀作です。
子供のためのシェイクスピアは「ロミオとジュリエット」。第一回作品の再演ですが、第一回は加納さんが演出されたようなんで初演としてもいいかもしれません。パリスと最後の部分の演出が山崎流の表現で面白かったです。若松力さんは子供にはなくてはならない存在になりました。来年は「オセロー」、これも再演。とても楽しみです。
小宮孝泰さんのひとり芝居「線路は続くよどこまでも」は再々々々々演くらいらしいですが、今回新しいキャラクターがひとつ加わってたようです。さらなる進化を目ざす鄭さんも小宮さんもステキです。本当に素晴らしい作品、もっともっとたくさんの人に観ていただき、もっともっと認められてほしいです。
今年初めて関わらせていただいたF/Tの中の「ブルーシート」。これは再演といっても、震災当時福島の高校生だった出演者が演じた作品で、彼らの現在の姿も反映されている作品です。なので厳密に言うと同じものではありません。観客も同じ時間を歩んでいるので時とともに感じ方も違ってきています。観客ひとりひとりに大きな宿題を持ち帰らせた優れた作品でした。飴屋さんを知ることが出来たのもF/Tに関わった収穫でした。

それから、大きな演劇イベントに関わることはほとんどないんですが、20年以上前に規模は小さいんですが「TOKYO演劇フェア」というのをやってた事がありました。93年は三茶でお世話になっているシェリーさん。これが彼と最初の仕事です。その前の年、92年はラフで象を出して通ったもんだから長野まで行ってサーカスの象を撮影しました。「いま日本にいる象の中で一番大きいです」とか言われてる中、カメラマンのアシスタントがビクビクしながら象の目の下で露出計っていました。昔の自分の作品を見るとダメな部分ももちろん多いんですが、無謀な強さもあります。今、象を撮るために長野に行けるか。これが来年の自問自答。話はずれましたが、自分が進化するためには やや無謀 な事が必要だなと考えてます。

TOKYO93.jpg   TOKYO92.jpg
posted by gutter at 15:25| Comment(0) | 日記

2015年11月05日

20世紀初頭の演劇と無名塾

orepan.jpg
おれ天パンフ

「おれたちは天使じゃない」の設定はいまから105年前の1910年です。
この年は、1900年のパリ万博から10年経ち、ヨーロッパはベルエポック真っ盛り。フランスの田舎で「炎の人」のゴッホが亡くなって20年が経ち、ロートレックやゴーギャンもすでに鬼籍に入られましたが、彼らがもし生きていたとしたら60歳前後。なのでパリに捕まる前のジョゼフ(仲代さんの役名)とゴッホが一緒にいても不思議じゃないことになります。同じ年くらいかもしれません。ジョゼフならゴッホの絵をなんなく売りさばいていたことでしょう。
スウェーデンの劇作家イプセンは1906年に亡くなっているので、「おれ天」の1910年よりちょっとだけ前の世代。「ソルネス」を1892年、「小さいエイヨルフ」を1894年、「ジョン・ガブリエル・ボルクマン」を1896年に書き上げています。そこへいくと「授業」のイヨネスコなんて前年の1909年に生まれたばかりの1歳。フランスが前衛に染まっていくのはまだまだ先、やっとアールヌーボーに入ったあたりです。「セールスマンの死」のアーサー・ミラーはイヨネスコよりさらに下で生まれる5年前、まだ商品を売り歩くより、店を構えていればよい時代でした…パリでもカイエンヌでも。
ぴったりの1910年ってことなら日本に縁のいい方がいらっしゃいました。黒澤明監督です。この年に生まれました。
1910年は明治43年になります。
同じ年、イギリスでは「ホブソンズ・チョイス」のウィリアムとマギーが引き継いだ靴屋を繁盛させていて、アメリカでスターと聞けば誰もが「バリモア」の名を上げているでしょう。1910年の彼は前途洋々とした28歳。酒浸りでもなく、無名の女優キャサリン・ハリスと最初の結婚をしたばかりです。

日本の演劇界に目を移すと小山内薫が、1902年にロシアのゴーリキーによって書かれた「どん底」をモスクワ芸術座で観劇していました。
1900年に書かれたチェホフの「三人姉妹」に100年後200年後の未来の人々の生活について希望や不安をのべる場面が出てきますが、100年前の活気に満ちた20世紀初頭を無名塾のお芝居と巡るのも面白いのです。
posted by gutter at 19:24| Comment(0) | 演劇