2015年02月01日

さよなら水晶よ

眼の中の濁った水晶。右眼は去年の春まではギリギリ見えていて、免許の更新もクリアしていたんだが急に悪くなったんです。ほとんど見えない。駅の柱の駅名も見えない。眼科の検査に行くと、冗談でしょって感じの、手で持つバカデカイCひと文字のパネルが置いてありますが、それが見えない。

5年くらい前になんとなく眼がかすむので恵比寿の眼科に行った時のこと…
「白内障ですね」
「白内障ですか?どうしてなったんでしょう?」
「肌をつまんでみてください、ピチピチですか?赤ちゃんみたいにピチピチですか?」
「(つまむ)…違います」
「そういうことです」
「…」
「老化です」

普通は20年後に心配することだろうから職業病なのかもしれない。
それから騙し騙しやっていて、医者も10年くらいしたら…まあ考えてもなんて言ってたんですが急にダメになった。そういう事もあるようです。
なにしろほとんどのお年寄りがやっているとはいえ、眼の手術。仕事の事もあるし眼は最重要箇所。聞き、勧められ、調べ、名医と言われるA先生が執刀する病院で両目同時日帰り手術をやることになりました。大丈夫そうに見える左の水晶体も曇っているらしく一緒にやるのをすすめられ両目同時。両目同時って?…ちょっと不安でした。東京ではほぼA先生だけのようです。

それが30日。よりによって、白内障の最後の抵抗のような雪。うっすら積もってきれいでした。が、滑ったら大変、すぐ脱げる靴をという指示でしたがガッチリスノーブーツにして向かいました。
その日は35人が手術。全てA先生の執刀です。
60〜65例(片目を一例と数える)の手術が行われました。神業というかすごい体力と集中力。診察や目薬さしながら3時間くらい待って、手術前控え室へ。そこで点滴して血圧と心電図測る器具をつけ、手術時間は両目で10分くらい、右がすんだらすぐ左にいきます 。手術中は進行を穏やかな声で教えていただきました。痛くはなかったんですが、白内障をとり終えてレンズを入れるまでの20秒くらいが真っ暗になり、0の闇という感じで怖かったです。
人が多く忙しいゆえの居心地の悪さはありますが、初診に予約がいらなかったり、紹介料をとらなかったり、料金も高くないし良心的。問題は混んでいる事、診察もかなり待ちます。手術も今からだと6月。えっていうくらい先ですが難しい眼の人も全国から来るようなのでしょうがないかも。

昨日は手術後の診察日
「なんだか見えすぎちゃって、家が汚くて汚くて、あちこち掃除してたら気持ち悪くなっちゃたわよ〜」
「だめよ〜まだ動いちゃあ」
なんていうおばあちゃん達の声もどこか明るくはずんでました。
タグ:白内障
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2015年01月10日

ポンチ絵

風刺漫画のことをポンチ絵というのはなんとなく知っていたが、ポンチ絵というのがイギリスの風刺漫画雑誌PUNCH(パンチ)からきていると知ったのは、無名塾公演「ホブソンズチョイス」のパンフレットをやった時のこと。
「ホブソンズチョイス」は19世紀の終わり頃という設定なので、当時の日常の風俗がわかるイラストを入れたくて探していた所、図書館で膨大なPUNCHの合併版(10年ごとに分類)を見つけ、その中から時代の合うものを掲載した。パンフレットにあるイラストは全て風刺漫画雑誌PUNCHのものだ。
PUNCHは1841年創刊。中身は風刺漫画が満載で時の国家やヴィクトリア女王をからかったものも載っている。またPUNCHのウィキを見るとフランスの風刺新聞を見て作ろうと思ったと書いてある。つまりフランスでは少なくとも170年以上前から風刺漫画を使った新聞があった。フランスにはユーモアをもって権力と闘う土壌が他の国より根付いているのだ。もちろん日本でも昔から風刺漫画はある。岡本太郎のお父さんの岡本一平さんも風刺漫画家。新聞で言うと四コマも元々はそうだし、3ページ目くらいには風刺漫画が入っていることが多い。戦争中は天皇陛下や日本軍人はアメリカの風刺漫画の格好の的になっていた。現在も、おさまらない原発や戦争に傾きかける安倍政権を牽制する風刺漫画が日本や周辺各国の新聞や雑誌に載っている。
どうやってユーモアを持ちながら問題の確信を突き、シンボリックで求心的な絵を描けるかが風刺漫画家の勝負であり、文化なのだ。
広告を作る手法にもとても似ていて、絵を見て「あ〜ウマいな、やられた」と感じると同時に問題の本質もどこかに残っていく。そういうものでしかない。
ネットの書き込みを見ると自業自得というような意見が多いのに驚いた。ムハンマドをバカにしたらそりゃダメだという意見も多々ある。風刺漫画という表現を酷いと言う人もいる。それでムハンマドって新しい過激な宗教なのかと思ったらマホメッドのことだった。イスラム教は今回の悼ましい事件をおこして当然と考えない宗教だと信じたい。キリストだってユダヤだってのべつまくなし風刺漫画に登場している。襲撃をしかたないと賛同する日本人がいるとは…
ならば「聖☆おにいさん」の片方がマホメッドだったらどうなんだろう?
爆笑問題の政治ネタがNHKでボツになり、個人の名前を出すのは下品という人がいた。政治ネタで個人名が出てこないのは想像つかない。北朝鮮の映画を観た人が、ラジオで そうでもないよ 言っていた。そうでもないとは北朝鮮を一歩的にバカにしてないという意味だ。表現の自由とは受け取る側のユーモアセンスが大きい。
一歩引いて面白がるゆとりがセンスだ。
風刺やパロディが抹殺されないためにユーモアをもって今一度考えたい。
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2014年11月22日

クリスマスと眼鏡

土曜日なのでゴミ袋を持って表に出たら、男の子が二人なにやら大きな声でしゃべりながらやってくる。小学四年生と見た。

「クリスマスかぁ、今年何もらえるかなぁ」
「本だよ」
「ホ…ン?」
「ホン!まいとし、ホン!」
「…」
「ママが勉強になるからって」
「…」

少年が放った「ホン!」は迷いのないハッキリした声。妖怪ウォッチどころかなんのゲームも入り込む余地のない潔さがあった。行き場を失ったクリスマスの話はそこで終わるしかなく、二人は黙って通り過ぎていった。彼はなにより「本」が欲しかったように思えた。

父方のいとこのD介のこと。彼は小学校に上がるくらいまで声も出さない臆病な子だった。親戚の集まりがあっても、ビクビクしていて一言も話さず奥に引きこもってジッとしているばかり。それがある年の正月の事だった。本家の居間で騒がしい子どもがいる、誰かと思ったらD介だった。そして、これぞ牛乳瓶の底という眼鏡をかけていた。
「いっつも困ったような顔しとるもんで、もしかしたら目が悪いんじゃないかと思ってねぇ、眼医者に連れてったじゃん」
「ほんで?」
「目が悪かっただよ、ほんで無口だったんだで」
「そりゃわからんかったねぇ、目だったかん」
「眼鏡作ったらしゃべるしゃべる、まぁ止まらん」
D介のお父さんも原因がわかってホッとしたようだった。
それからが凄かった。性格が明るくなっておしゃべりになっただけでなく、文字に目覚めたのだ。
「いままでみんなが本見とってもなんだかわからんかったけど、それが見えるようになったもんでスゴい興味もったんじゃないかん?」
「ほだら〜」「ほだら〜」
親戚中ではD介の話題で持ちきりだった。なにしろどこでも本という本を読みあさる、小学生なのに大人の本まで読む。読んでわからないことがあると大人に質問攻め。ノージャンル、辞書まで読む。うちに来た時も親父の書庫に閉じこもり、親父に質問攻めしたあげく何冊か持ち帰っていった。オレや兄貴が絶対手にしない5cm以上あるやつだ。本の虜になった彼にはもう何年も会ってないが、一族ではじめて東大に入り農業の研究をしている。
D介もクリスマスに「本」を貰っていたな と思いだした。 
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2014年11月12日

ブロードウェイで二十ン年振りの出会い

加藤健一事務所の今年最後の公演「ブロードウェイから45秒」が紀伊國屋サザンシアターで絶賛上演中です。初日前にチラシを折り込みにいった二つの劇団の制作さんから別々に、ロビーがスゴイですよと言われました。二人から言われたんで何がそんなにスゴイのか気になって気になって…初日観に行ってわかりましたよ。迫力!これは確かにロビーがスゴイ、驚きました。どんなにスゴイのか気になった方はぜひ劇場へ!もちろんロビーだけじゃなく芝居もスゴく面白いです、15日まで。
今回の公演の演出家は堤泰之さん。小さいものから大きなものまで演られている人気の演出家さんです。実はデザイナーの仕事をはじめてなかったかほんのひよっこの頃、堤さんの劇団ネバーランドミュージカルコミュニティの解散公演のチラシを作った事があるんです。二十ン年前です。「天使の羽が降る日に」紀伊國屋ホールでした。解散公演で紀伊國屋ホール、小劇団の中でも人気のあった劇団でした。よくペーペーにやらせてもらったなぁと思います。その頃はまだMACとか使ってなくてタイトルを定規とロットリングで書いたのを覚えています。ビジュアルの写真をワザと荒くしたかったので写真をカラーコピーして入稿しました。技術は無いけど若気がタップリだったんです。至っておりました…現物はどこにあるのやら…
稽古場におじゃましなかったので初日の打ち上げの席が堤さんにお会いした最初でした。「実は…」と切り出したら、堤さんの方から「昔お願いしましたよね、チラシに名前があったんでいつお会いできるかと…」言われビックリ。覚えていただいてたとは…嬉しかったです。二十ン年経ってまたご一緒出来る幸運に感謝。また次が出来ますように…早く…ン年の間に…
加藤健一事務所のお仕事に関わって3年ちょっとなんですが、年間4本ペースなんでもう12本。制作する中で一番といっていいくらい楽しんでやっているのがA5横サイズのパンフレット。
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kawamori .jpg doughnut.jpg
bakapanfu.jpg hachigatupanfu.jpg
morrie.jpg be my baby.jpg
atonipanfu.jpg seiganpanfu.jpg
if iwere you.jpg broadpznfu.jpg
作品の延長線上をイメージしてけっこう自由にやらせていただいています。チラシと同じビジュアルでやったり、写真を借りたり、撮影したり…今回のはポスターの真ん中のタイトル部分に使った写真を流用しました。ちょっと前のブロードウェイ、脚本が書かれた頃だと思います。これも初日の席で則子先生に裏面に吉野家が写っていることを教えていただきビックリ。
ロビーが気になって、パンフの吉野家を確認したい方、もちろんニール・サイモン初演をカトケン事務所で観たい方はサザンシアターまで。
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2014年11月10日

H氏からのFAX

11年前のある日、1枚のFAXが流れてきました。OKだという内容のFAX。送信票として使っているのかもしれませんが、このFAXは捨てられません。(内容は消しました)
カッパイラスト2.jpg
妹尾河童さんとはその時に一度だけ無名塾の「森は生きている」でご一緒しました。ご一緒したといってもパンフレットに載せるための原稿をもらっただけなんです。それでも、緊張しました。河童さんは舞台美術家であると同時に優れたグラフィックデザイナーでもあるからです。原稿に文字組の指示がしてあり同業者感覚を感じて嬉しかったです。イラストなんですが少年Hはともかく軍服の少年も河童さんご本人でしょう。Hとは河童さんの本名肇(はじめ)のH、本を読んでいたのでご本人のHにいたく感動しました。

それから最近、長らく気になっていた映画の「少年H」を観ました。本が良かったので観るのをためらってた所もありますし、戦争ものを遠慮していた所もありました。映画は、もうちょっと本で感じたグゥ〜と盛り上がる頂点みたいな感じが欲しかったんですが、画もキレイで臨場感もたっぷりでとても良かったです。特に父親役の水谷さんがいい。水谷さんってパターンで芝居する俳優さんのイメージがあったんです。若い頃は「傷だらけの天使」や「男たちの旅路」のヤンチャで「…ナ〜ニヤッテンノ〜」って首ふりながら語尾を伸ばすイメージ、右京さんの「…ですねぇ…ジョロロロロ〜」と妙に落ち着き払ってひとり遠くにいっちゃってるイメージ。つまり型にはめて演技するイメージだったんですが、妹尾家の父親はとても自然で気持ちがわかって懐が深い。スゴく良かったです。右京さんばっかりやらないで普通の役ももっともっと観たいですね。
河童さんは80歳をこえ、いまは老年Hですが、まだまだ現役で頑張っておられるようです。何か機会があればまたご一緒したいです。
タグ:妹尾河童
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2014年11月05日

「バリモア」初日

11月3日、仲代さんはこれからアラモ砦に一人で立つ。

観る前、いつになくドキドキした。なにしろ1時間40分もの間舞台にひとり、膨大な膨大なセリフ量だ。
もしかしたらダメなところを今日観ることになるかもしれないという
、とても失礼な部分を含んだドキドキだ。

しかし、舞台に出てきた一瞬でドキドキは吹き飛び、引き込まれ、
圧倒された。舞台が開いてまもなくだった。
ほろ酔いでゴキゲンなバリモアが診療鞄を持って登場する。
中から出たのは二本の酒瓶。それを右手の指にぶら下げ話はじめたかと思ったら、「ガッシャン!」
酒瓶同士がアメリカンクラッカーのようにお尻がぶつかって割れた。
瓶の底がきれいに抜けお酒はまっすぐ舞台の上へ。
瓶の底だけぬけて、滝のようにお酒が流れたのがキレイだった。ガラスも散乱している。
仲代さんは酔っぱらってフラフラしながら大きな破片を拾いあげ
「あ〜もったいねぇ」
ハプニングなのだ。仲代さんはとんでもなかった。

ほとんどの人が演出だと思っただろう。
セリフを飛ばそうが忘れようが、もうどこから切ってもバリモアだ。演じることに捕われ、演じる事が出来なくなった役者の老醜を1時間40分ぶちまけた。
終演。
観る前と違うドキドキに強く襲われた。手伝いに何人もの教え子たちが来ていた。
何も言わなくてもみんなの顔を見たらわかる。
81歳の師匠に打ちのめされたことが
誇らしくてしょうがないのだ。
仲代さんはいつも手の届かない場所にいる。楽屋で感動した教え子が「バリモアと仲代さんが一致してました」と声をかけると、ドーランを落としながら
「バリモアだと思ってやってないから」と一言。
映画スターであり、最高のシェイクスピア俳優であり、演じる宿命を背負った役者。バリモアとは仲代さんそのものだった。
今回はうまく出来たと思ってたポスターが、舞台上の仲代さんにかき消され
これで良かったのかと不安になってきた。
それでもこの作品に関われたことを誇りに思う。
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2014年10月31日

モウロウどころか目が冴えた菱田春草展

昨日の昼間、思いたって菱田春草展へ行ってきました。
黒猫がなにかと話題の展覧会ですが、落葉シリーズが素晴らしい。遠目から全体見回し鼻息荒くうなってたら、かぶりつきの御夫人集団がうるさいのなんのって…もう、何話してんのかと思ったら
「これ、椎の木じゃない?」
「ドングリが落ちてないから違うんじゃないの?」
「じゃあ、椎の木じゃないんだ」
そ こ で す か ?

36歳で亡くなった菱田春草、最後の2、3年のセンスがケタ外れですね。芸大(東京美術学校)の同期に横山大観や下村観山らがいますが、同時期の画家と比べてもオシャレでセンスが抜群。本当はここからだったんだなと感じます。背景を描かないで手前をちゃんと描くことで朦朧がより朦朧となり遠近感も感じられる。そして絶妙なバランス、見事でした。
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下は落葉シリーズの部分アップ。病床でこんなに細かく描くのはどんなに大変だったか、未完の作品も含め全ての落葉シリーズを観ることができます。
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若いころの宗教っぽいものとか坊さんの絵とか、朦朧づくしなんてのはちょっと苦手なんですが20代の作品にも面白いものがありました。
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「白牡丹」これなにがスゴいって、右上にある黒い二つの点、はじめゴミかと思ったらコバエのような虫でした。この虫で空間のバランスがうまくいってるわけなんですが、普通描かないですよね。買う側から言ったらイヤですし…。
旧態依然とした日本画への挑戦というか反骨がブンブン飛んでいるような気がします。
猫シリーズで好きだったのはこれ
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ちょっと怒ってますね。今回の展示のメインの黒猫は何とも言えない魅力がありましたが、思ったより色のメリハリがなかったのと黒猫がそこにいるという感じがあまりしなかった。なぜだろう…照明の加減もあるのかもしれませんが…。
あとカタログのデザインがシャレてました。
春草さんもセンスのいいデザイナーにカタログを作ってもらって喜んでいることでしょう。
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2014年10月30日

芭蕉と小さいおうち─その2

しばらくして「小さいおうち」を観たんですが、小さくないじゃん が第一印象。あれが小さいなら大きいおうちは岩崎邸か!と思いましたね。それで問題の間取りですが「小さいおうち」の1階は
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こんな感じです。こういう家の特徴は和洋折衷。昭和20〜30年代に流行った文化住宅に近いです。関西では文化住宅というと集合住宅のことを指しますが、東京では日本家屋の中に洋風の応接間を取り入れた家を文化住宅と呼びます。玄関入ってすぐ左側の洋間が応接間。俊定先生の家もそう、お会いする時はいつも出窓の付いたこの応接間でした。比較すると、応接間は先生の家のほうが少し狭いんですが、それ以外は台所の位置も奥の続き部屋もほぼ同じ。叔父さんが本を読んでいて同じと思ったことも頷けます。文化住宅は平屋が一般的だったので、二階のついた「小さいおうち」や「中村俊定家」は少し上等なタイプかもしれません。トトロのサツキとメイの家もそうですね。洋間への憧れと日本家屋のすごしやすさが合体した理想的な昭和の住宅とも言えます。今ではめっきり少なくなりましたが、杉並や世田谷を歩いているとたま〜に見かけます。
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横浜には小さいおうちサイズから中くらいのおうちのちょっと豪華なものも残っていて、これは洋館付き住宅と呼び、「よこはま洋館付き住宅を考える会」という市民団体が保存活動をしています。横浜なんで洋間がもう少しあるのかもしれません。
俊定先生の家は先生が亡くなり奥さんも亡くなられた後に、老朽化でやむを得ず建て替えられましたが、都内にあるものはなるべく残してほしいです。
「ものすっごい小さいおうち」でもいいので文化住宅のような家に住むのが夢なんですが…枯れ野をかけめぐるばかりかも。
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2014年10月28日

芭蕉と小さいおうち─その1

ファミリーヒストリーなんか観てると自分のルーツが気になったりします。小学生の頃ルーツ話で盛り上がると、みんななぜか自分の家だけは元は武士だと思ってる。ある時「お前は目と指がお百姓さん」と決めつけられ、頭にきて帰って親に聞くと「この辺はみんな百姓だよ」とそっけない返事。いまは農業に憧れがあり、尊敬しまくりですが、昔はテレビの影響なのか武士に人気があったようですね。
さて先祖ですが、変わったところでは父親のひいおばあさん(高祖母)の妹かお姉さんが形原の斧八という任侠の親分の姉さんになった人がいるそうです。外戚なんで全く関係ないんですが、吉良の仁吉と兄弟分だそうで次郎長三国志にちょこっと出てきます。で、うちのご先祖姉さんはと言うと、斧八親分が留守の間に家にやってきた渡世人を、「出かけてます!」ときつく追い返した。というたわいもない話だけが百何十年経った法事の暇な時間に出るくらい。「出かけてます!」だけではファミリーヒストリーにならないですね。
自分が知ってる一族の中のではなんといっても中村俊定先生です。岩波文庫を四冊も出されている芭蕉の研究家。おじいさんの弟で大叔父さんにあたります。中村姓のお寺に養子に入ったんですが、文学がやりたくて早稲田大学に進み、その後俳諧研究に打ち込みました。継ぐはずのお寺はどうなったんでしょうか?謎です。
こちとら芭蕉も俳句も全く興味は無かったんですが、本屋さんに入り岩波文庫の棚の前を通ると俊定先生の本を探し、あると誇らしい気持ちになってました。
俊定先生の家から5分くらいの雪谷に父親の弟、つまり叔父さんが住んでいまして、叔父さんの家に遊びに行ったりした時に何度か俊定先生宅にもご挨拶に伺いました。いまだったら色んな事を多少は話せるのに当時はレベルが違いすぎて…もったいないことしました。先生はご高齢だったのでほどなく亡くなられましたが、自分の子どもも孫も甥っ子も親族みんな俳句に興味がなくって継ぐものがいないと嘆いてらしたのを覚えています。先生の集められた本は全て早稲田に寄贈され中村俊定文庫になりました。

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それからそれから15年くらい経って本屋でなにげなく「芭蕉俳句集」を買い、それからそれから5年くらい積ん読があって、なにげなく読んでみるとこれが実にわかりやすくまとまっている。これぞ食わず嫌いだったのかと思いました。芭蕉は天才ですね。スケールがスゴい、俊定先生がどこに惹かれどの句が好きだったのかなどお聞きしたかったです。
今年の5月ころの事です。雪谷の叔父さんに会いに行った時に
「最近やっと俊定先生の 芭蕉俳句集 読んだんですが、面白いし、わかりやすいですね」と言うと
「年とるとああいうものが読みたくなるんだよ」とつれない返事。
そうなのかそうであってもいいやと思っていると

「小さいおうちって知ってる」と聞かれる
「映画ですか? 松たかこの?」
「いや映画はまだ観ていなくて本を読んだんだけど、出てくる家が俊定先生の家そっくりなんだよ」
「へぇ〜雰囲気がですか」
「いや赤い屋根とか雰囲気は全然違うんだけど,間取りがそっくりでね」
俊定先生の家の間取りを思い浮かべた。
(続く)
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2014年10月27日

冒険は永遠に

奇想の人でした。まさにアバンギャルドな人。
だげど内にこもらず外に向かって発信する。
その思いもつかない発想にいつも驚かされました。
赤瀬川原平さん。
トマソンなんてマイノリティの慰みものにすぎないような事を
いつのまにか誰もが気に留めるものにしてしまう。

先日も川越に行った時に古いビル壁にあるドアを見て
「あれっトマソンじゃない?」と思わず言ってしまった。
煙突写真もそうですが、誰もが気づかず捨ててしまうようなものに価値をみつけ、その視点の新しさについこちらも乗せられる。
楽しみながら逆流の川を登る人。ゴミの中から文化を再生させられる人でした。

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20年近く前になるけど、全てが観られる展覧会「赤瀬川原平の冒険」が名古屋であり、正確に言うと名古屋だけであり、こりゃあ行くしかないなと休みを取り。実家を通り越して展覧会を観に行きました。伝説の千円札裁判のものもあったんですが、伊藤博文の前の聖徳太子の千円札。全く知らないお札だったのでピンとこなかったけど、それだけ昔から反骨であったわけです。

小説を発表された時にはすぐ新刊を買いました。中身は良かったけど普通でした。普通な事にかえってビックリ。ピカソやゴッホがデッサンがうまいのと似てるのかもしれません。何をやってもセンスがよい人なんでしょう。その人が無用の廃物をトマソンと名付け面白がる、衰えを老人力と発想する、ここにスゴさがあります。
奇想もアバンギャルドもできなくても
流行やコンサバなものにとらわれない視点だけは持たねば…
posted by gutter at 14:34| Comment(0) | 日記